Web3に至る歴史について[その1]

 「Web3はビッグテックの支配から個人が解放されたインフラ」だ。

 そういうことになっている。

 では、Web1.0やWeb2.0はビッグテックががりがりと個人を支配するアプリケーションだったのだろうか。Webの基盤であるインターネットも、専制者が個人を掌握するインフラだったのだろうか。

 たぶん、そうではないと思う。

 インターネットは自由を象徴するインフラだった。それまでの集中型コンピューティングでは末端部分の利用者は好き勝手ができないし、SPOF(Single Point Of Failure:そこが止まると全体が止まる箇所)もできる。

 だから力や権限を分散させようぜ!がインターネットの基本構想だ。ヒッピー文化の影響なども多分にあり、自由を至上価値とするインフラに仕上がった。

 そして、その上にWebが載る。

 インターネットはあくまでインフラである。高速道路のようなものだ。道路マニアは開通すればうれしいだろうが、一般の人はそれだけではうれしくない。

 自分で乗り回す車があって初めてうれしくなる。

 車がないなら、路線バスや宅配便が完備されるのでもいい。とにかく、インターネットがあるだけでは楽しめないのだ。インターネット上で初めて万人が楽しめそうなアプリケーションとして登場したのがWebだ。

 これも、登場した当初は自由の象徴だった。

 それはそうだ。たいていの技術は人の力を拡大したり、人をくびきから解放したりするために現れるのだから。

 それまで「世界に対して情報を発信する」権能は放送局や出版社が独占していた。個人が独力で自分の意見を世界に知ってもらうことなど、夢物語だった。

 それがWebページを作成することによって、可能になったのだ。

 もちろん、Webページを読んでもらうためには視聴者の能動的なアクセスが必要だから、それは「読んでもらえる可能性」にすぎない。Webページを作ったからといって、自分の考えが世界にあまねく伝播(でんぱ)するなどと考えるのは夢想が過ぎる。

 でも、それまでは可能性すらなかったのだから、巨大な一歩だったのである。エリートたちは熱狂した。

 ところがこの熱狂は一部にとどまった。

 Webは難しかったのだ。

 少なくとも、HTML、HTTP、URIなどの要素技術を知り、使いこなす必要があった。何らかの方法でWebサーバを用意する必要もある。極端に難しいわけではないが、今のスマホほどにみんなが手中にしていたかといえば、そうではなかった。

 そこでWeb2.0が登場する。

 Web3の文脈で語れば、「GAFAが支配する中央集権的なシステム」である。なんだか悪の象徴みたいだ。

 しかし、これすらも顕現した段階では自由と解放を旗印にしていた。「個人が輝く時代」といったキーフレーズとともに広まったのである。

 「Web2.0の特徴は双方向性」「シンボルはSNS」ともいわれるが、Web2.0が勃興したとき(それまでのWebは、このときさかのぼってWeb1.0と呼ばれた)SNSの普及はまだ間に合っていない。登場当初のWeb2.0の象徴は動的なWebページ(GoogleMapみたいに、インタラクティブなやつ)や、ブログだった。

 ブログはけっこうもてはやされたのだ。Webの基礎知識(HTMLやHTTPなど)を知らなくても、文章を書けばそれをWebページとして公開できる、世界に発信できる、今度こそ情報発信能力が民主化されたと喧伝(けんでん)された。

 地場でしか取引のなかった町工場が、ブログをきっかけに世界を相手に取引できるようになった事例などがフォーカスされ、「ポテンシャルはあったのに機会が与えられなかった個人や中小企業が、ネットの力で世界へ羽ばたく!」などと惹句(じゃっく)が踊った。いま言われている「Web2.0は中央集権型だ」と、当時の現場はだいぶ様子が違ったのである。

(その2に続く)

【著者略歴】

 岡嶋 裕史(おかじま ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「思考からの逃走」(日本経済新聞出版)、「インターネットというリアル」(ミネルヴァ書房)、「メタバースとは何か」(光文社新書)など。

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