【書評】「恋文の技術」

 恋文。

 あるある、書いたことあるよ。

 二次元女子宛のファンレターだけどな!

 恋文というのは、文章技術がどうこうよりも。

 まずは書く気になることが重要である。

 そのためにはまず推しが定まらないといけないのだが、それは書き始めると長くなるし今日のテーマから外れる気がするので取り上げない。人生の紆余曲折を経て推しが決まったとしよう。

 で、恋文を書こうとするのだが。

 冷静な時間帯に書くのは無理である。

 まず恋文という情報伝達手段が相当にキモいのである。

 その伝達手段を選択してしまうキモいメンタルを持つ者が作成した文章はキモいものになる。

 キモヲタがキモい手段でキモい文章をしたためた恋文パケットは、ルーターが中継をちゅうちょしてしまうくらいにキモさを煮染めた純粋概念に仕上がっている。

 それが容易に想像できてしまうので、理性ある人間が理性ある時間帯に恋文を書くのは、持続的に発展可能な仮想通貨を作るのと同じくらい難しい。

 そこで夜の力を借りることになる。

 夜は素晴らしい。

 宵の口など、次の朝までに世界征服まで可能なのではないかと思えるほどの全能感を人生にもたらしてくれる。明け方には絶望するけどな。

 意識の高い啓発本も、純度絶佳の合成薬物も、夜の魔力の足下にも及ばない。夜があればクソゲーにおける1000時間の周回作業も、長い本を書くことだってできてしまうのだ。

 だから、この世界の真の支配者「夜」の力を借りれば、恋文に着手し、あまつさえ仕上げることだって可能なのである。

 だが、夜の魔法は麻薬でもある。

 この麻薬はそもそもキモい恋文パケットを、さらに100倍脂ぎった「別の何か」へ昇華させるのだ。そこで産み落とされた成果物は、もはや素人がうかつに手を触れると危険なほどにキモい。

 そんなものを朝の光のもとで再確認したら自分が憤死するかもしれないし、何らかの呪術を用いて憤死を免れ投函の運びとなったら、今度は着弾した推しが憤死してしまうかもしれない。剣呑(けんのん)である。

 したがって、われわれはなんとかして理性ある時間帯に恋文をしたためねばならない。どっちにしろキモいにしても、読者が共感性羞恥で体調を損ねる臨界点を超えないために。

 では、どうしたら真っ昼間に恋文を書くなどという難事業を始められるのか? 場合によってはそれはGoogleを創業することより難しいのではないだろうか?

 その問いに答えてくれるのが、「恋文の技術」(森見登美彦著、ポプラ社、2009年)である。

 最初にお断りしておくが、この本で「恋文を書く技術」を身につけることは全くできない。これっぽちも期待してはいけない。技術に関してはまだ、「5分でもてるテクを伝授する」系の詐欺ツイートの方が役に立つ。

 では、何のためにこの本を読むのか。恋文を書く「私」のキモさを全肯定してもらうためである。うだうだと無為に時を過ごし、友人に相談しては煙たがられ、過度の妄想に心身を侵食されながら恋文を書きつづる決心を固めていくのは相当恥ずかしい作業だが、キモさあふれる珠玉のエピソードがすべてを疑似体験させてくれるだろう。そして、読了のころには外堀が埋まっているのである。完璧な仕立てである。

 ただ、一点付言するならば、「恋が成就するまでパンツを脱がない」願掛けはやめておいた方がいい。わたしもそこはまねしなかった。

【著者略歴】

 岡嶋 裕史(おかじま ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「思考からの逃走」(日本経済新聞出版)、「インターネットというリアル」(ミネルヴァ書房)、「メタバースとは何か」(光文社新書)など。

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