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野党にも三分の責任 【政眼鏡(せいがんきょう)-本田雅俊の政治コラム】

 「腰の引けた案だ」(立憲・岡田克也幹事長)といった冷めた見方もあるが、自民党の政治刷新本部は早々に中間報告を取りまとめ、国民の政治不信を払拭しようと懸命になっている。すでに岸田派(宏池会)や二階派(志帥会)、安倍派(清和政策研究会)などは解散を決めた。存続する派閥もあるだろうが、当面、“人事とカネ”を両輪としてきたこれまでの派閥と異なる形になることは間違いない。

 今回の政治資金パーティーを巡る問題では、関係各派の領袖や幹部、さらに個々の議員に責任があることは論をまたない。起訴の有無にかかわらず、また額の多寡にかかわらず、“裏金”をキックバックした方も、された方も、政治的・倫理的な責任は免れない。「秘書に任せていた」「カネは事務所で保管していた」といった言い訳は詭弁(きべん)の類で、本来はまかり通らないはずだ。

 かつて秦野章法相(当時)は「政治家に徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」と言い放ち、猛批判を浴びた。その言葉の真偽はともかくも、倫理だけで政治とカネの問題を解決できないのであれば、制度改革が必要となって当然だ。今回の問題でも、「自民党が政治資金規正法改正まで踏み込めるかどうかが試金石」(全国紙デスク)だと見られている。

 明日から始まる通常国会では能登半島地震への対応に加え、まさに政治資金問題が大きな論点になる。すでに野党各党はここぞとばかりに、手ぐすねを引いて待っている。実質的な論戦が繰り広げられる予算委員会では、またまた立憲民主党の岡田幹事長や長妻昭政調会長、枝野幸男前代表、蓮舫参院議員などの論客が追及ののろしを上げることが予想される。

 今回の政治資金問題が俎上(そじょう)に載せられる際、「あのときの反省が生かされていない」「いやいや、あのときは抜け穴だらけの政治資金制度がつくられた」など、しばしば90年代の“政治改革”が引き合いに出される。過去を「たら」「れば」で仮定して考えても意味はないが、30年前、政治資金制度を厳格にしていれば、確かに今回のような事件・問題は起きにくかったかもしれない。

 だが、忘れられていることがある。当時の政治改革論議では、政治とカネとの不透明な関係を断ち切るため、緊張感のある政治が目指され、その結果、政権交代可能な選挙システムが導入された。つまり、政治資金制度改革と選挙制度改革の“合わせ技”で政治改革が推し進められたのだ。当時、熱心に改革に取り組んだ自民党の元代議士は、「与党が不祥事を起こしても自浄作用を発揮しなければ、衆院選で政権党そのものを入れ替える仕組み。単純だが、それが一番の政治腐敗防止になると考えた」と振り返る。

 政権交代を容易にするためには、二大政党制が望ましい。少なくとも政権獲得に向け、野党間の緊密な連携・提携は不可欠だ。しかし、今の野党勢力を見る限り、その準備は恥ずかしいほどできておらず、“政権の受け皿”からほど遠い。「野党に政権を奪われる危機感がないから、自民党はあぐらをかいている」(閣僚経験者)との指摘は、正鵠(せいこく)を射る。

 野党への支持と期待が一向に高まらないもう一つの大きな理由は、かつての民主党政権の総括と反省が十分でないからだ。「立憲民主党は民主党と異なる政党だ」(立憲・ベテラン秘書)といった主張もあるが、例えば明日からの国会で質問に立つ論客の多くは民主党政権の中枢にいた面々で、国民ははっきりとした残影を見る。歳月が流れ、党名が変わっても、ざんげが済んだことにはならないのだ。

 もとより野党には岸田政権の姿勢をびしばし厳しく追及してもらいたいと願っている国民は多い。しかし、自省なき追及は嘲笑を招きかねない。野党が“政権の受け皿”になり得ていないだけでなく、野党第一党の立憲民主党が“前事”を反省しないまま政権獲得を訴えるのは、それこそ「八百屋で魚をくれというのに等しい」ことだろう。

 共同通信社の1月13、14日の世論調査では、立憲民主党の支持率は8.1%にすぎず、全野党を足しても自民党の支持率(33.3%)に及ばない。岸田政権に対する逆風が、なぜ野党の追い風になっていないかを真剣に考えることも重要な政治改革ではないか。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。


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