【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】ありがとう2023、よりわがままに2024
【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】ありがとう2023、よりわがままに2024

【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】ありがとう2023、よりわがままに2024

2023年12月27日=1,725
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


木曽川河口からわが地元・桑名郡を望む、伊勢湾岸自動車道も繋がってます
木曽川河口からわが地元・桑名郡を望む、伊勢湾岸自動車道もつながってます

▽反面教師

先日は、わがYouTubeライブで、とある配信をやりました。お題は「有馬記念スペシャル」。しかし、わが予想は的中せず。一方で、わたしを反面教師にして「おまえの予想を外したら的中できた、サンキュー」とクリスマスギフトを手に入れた視聴者も必ずやおられるはず。心よりお祝い申し上げます。

そうなんです。ここは、と意気込んだ自分は、日本中央競馬会(JRA)さんに、諭吉さんを何人か〝寄付〟いたしました。ここで専属秘書(編注:妻のあかねさん)からひと言。
「泊まりで東京ディズニーランドでも行ったと思たらええやん、お土産もいっぱい買うたと」
う~ん、あったかい気遣いありがとう。彼女に向かってそうつぶやいた、心の中で。

▽よりわがままに

2023年、掲げた目標である全国行脚には程遠いけれど、いろんな場所そして人に出会うことがかないました。ホントに本当にありがとお~でございます。

そして2024年。よりわがままに、より己のために生きようと決意いたしました。今でも十分過ぎるほど自己中なのに、何をいまさらと思われることでしょう。まぁ聞いてくださいな。

胃に悪性腫瘍を発病した2018年。しんどい手術そして抗がん剤を頑張ったにもかかわらず肝臓に転移した2019年。何とか治療を続けられているとは言え、その副作用がじわじわと強まってきた2023年。もうやってられへん。だから好きなようにやらせてくれぇ、です。

▽来年の企て

そんな訳で、ひとつ企てを宣言します。2024年はYouTubeライブでJRAのGⅠレース前に予想配信をやってみたい。来年は2月から12月まで合計24レースあるゆえ、体調などを言い訳にして実行できぬこともありましょう。その場合、あいすみません。

急変ない限りこの先3カ月は生きていられそうと思っているけれど、半年以上先となると、悲しいかな、分かりません。

なぜならば、こんな風に先のことをしゃべっていて、その4カ月後の再会がかなわなかったがん仲間も幾人かいるから。でもこんなん考えてもキリがない。だから今できること、できそうなことから、まずはやってみる。これに尽きると思って、生きてます。

中部国際空港セントレア。全国行脚の交通手段であります
中部国際空港セントレア。全国行脚の交通手段であります

▽どこでも行きます

2024年に研修会・講演会などをご計画なさる場合、わが大橋洋平の名を思い出していただけましたら甚だ幸いでございます。三重県・愛知県の地元はもちろん、北海道から沖縄県までどこへでも参りますので、引き続き応援よろしくお願いいたしまする。フェイスブック、インスタグラム、X(旧ツイッター)、YouTubeなど、ご連絡を気長にお待ちしとります。

そのYouTubeライブ配信、しぶとく続けてます。チャンネル名「足し算命・大橋洋平の間」。配信日時が不定期なためご視聴しづらいとは察しますが、どこかでお気づきの際にはお付き合いくださいな。ご登録も大歓迎。応援してもらえると生きる力になります。変わらぬごひいきのほど何とぞよろしくお願い申し上げまぁす。

(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、2022年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。

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