今の国会が始まって間もなく2カ月がたつ。当初は右も左も分からなかった“ピカピカの1期生たち”も、ようやく慣れてきたころだろう。優等生ばかりなのかどうかはともかくも、不思議なほど、まだ大きなスキャンダルは報じられていない。その一方、「今、無名の新人議員のネタを記事にするよりも、しばらく温めているのではないか」(自民中堅)といった見方もある。
国会議員が胸に着けているのが、俗にいう“金バッジ”だ。衆院議員も参院議員も、直径2センチほどのモールの台座に金色の菊花模様が配されている。台座が赤紫色か紺色かなどの違いはあるが、この記章は“権威”の象徴であるし、国会に入るためのID(身分証明書)の役割も果たしている。うっかりバッジを着け忘れ、議員会館入口で衛視に制止される者もいる。
以前、外遊帰りに空港で手荷物を検査されようとした議員が、「このバッジが目に入らないのか!」と鬼の形相で税関職員に怒鳴ったという“逸話”も残る。そうした“履き違い”をしている議員は今もいるだろう。四半世紀前の米国同時多発テロの直後、ワシントン空港の保安検査場で一般市民と同様、文字通り身ぐるみをはがされて調べられた連邦上院議員が、「これでもうアメリカは大丈夫だ」と満足気な顔をしたのとは対照的だ。
ベテラン議員だろうと新人議員だろうと、本来、バッジはどれも同じなのだが、衆院に現行の選挙制度が導入されたときに生まれた“隠語”がある。小選挙区の当選者が着けるのが“金バッジ”、比例単独であれば“銀バッジ”、惜敗率で比例復活した者が着けるのが“銅バッジ”というわけだ。歴代首相や総裁候補があまねく“金バッジ”を着けていたことなどに鑑みれば、今も間違いなく“見えない順位”は存在する。
オリンピックやパラリンピックのメダルの色も、これと似て非なるものかもしれない。先のミラノ・コルティナ冬季五輪でも、金メダル獲得が有力視されていた選手が、首から銀メダルをかけられて悔し涙を流す姿があった。逆に、満面の笑みで銅メダルを見つめる選手もいた。われわれ市井の者にとっては、銀メダルでも銅メダルでも十分にすごいのだが、当事者たちにとっては、内情によってメダルの色が違って見えるのかもしれない。
2月の衆院選では、自民党に66人の新人議員が誕生した。中には比例名簿に名前を貸しただけのつもりが、“高市旋風”のおかげで思いがけず代議士になった者もいるが、小選挙区からの出馬を模索しながらも、候補者調整で泣く泣く比例区に回されて議席を得た者もいる。同じ“金バッジ”、いや“銀バッジ”でも、本人たちの心情はやはり違うのだろう。
小選挙区から出馬をしていない“銀バッジ”議員たちは、基本的に“地元”はない。軸足を置く地域のイベントや行事に招待されるかもしれないが、個人の名前を売るよりも、所属政党をアピールしなければならない宿命を帯び、活動は限定的にならざるを得ないのだ。かつて“銀バッジ”を着けていた元議員は、「直接名前を書いてもらえないからか、誰も地元でオレのことを代議士だと思ってくれなかった」と振り返る。
本来、若手議員の活動の舞台はまさにその“地元”だ。日本の縮図ともいえる各選挙区であらゆる課題を学び、中堅議員、さらにはベテラン議員になって政策実現に関わるのがこれまでのパターンだ。新人議員がそうした基本的な活動にいそしめないことは、単に気の毒なだけでなく、日本の政治そのものにとってもよくないことだろう。“教育機関”としての派閥もなく、有権者と対話できる選挙区もなければ、国会議員の“健全な成長”は難しくなる。
それならば、ベテラン議員はいっそのこと、選挙区を若手議員に譲り、比例区に回るべきではないか。いずれは自分の息子や娘に地盤を譲りたいと思っているのであれば、時代を見誤ることになる。あのイギリス貴族院でさえ、世襲制度が廃止されるご時世だ。この際、66人の新人議員たちは拳を振り上げ、変革を求める“鬨(とき)の声”を上げてはどうか。いつの時代でも、若い人たちの勇気と行動で変革がもたらされてきた。“金バッジ”の色だって、その気になれば変えられるはずだ。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。
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