b.[ビードット]

名もなき文化財を残す ―旧商家の観光利用― 森下晶美 東洋大学国際観光学部教授  連載「よんななエコノミー」

 近年、古民家と呼ばれる個人住宅に歴史的価値を見いだし、ホテルやカフェなどに利用する事例が増えている。佐賀県伊万里市でも旧商家の建物をホテルに再生しようというプロジェクトが始まっており、先日、視察させていただいた。

 政府の観光政策では高付加価値化を進める一環として「歴史資源の活用」を考えている。伊万里市でも政府の事業費などを利用しながら、江戸期から残る商家の建物を1棟貸しのホテルに改装し、焼き物とその商いの歴史をテーマに観光で集客しようという試みだ。

 伊万里市は焼き物で知られるが、実は陶芸そのものよりも有田や大川内山(おおかわちやま)などで作られた磁器を国内外に出荷する積み出し港として栄えた商いの町で、現在も市街地には旧商家である白壁土蔵の建物が数多く残っている。明治期以降、鉄道などの発達により積み出し港としての役割を失い、商家であった建物の多くは近年では普通の住宅として使われていた。

伊万里の市街地に残る旧商家の建物=筆者撮影

 そのうちの何軒かを拝見して驚いたのは、磁器を保管した屋根裏倉庫や商人たちが滞在した部屋など建物のつくりの面白さはもちろん、明治期からの器や生活用品など膨大な数の家財道具が残されていることだ。素人目ではあるが、博物館に展示するほどの歴史的価値はないものの骨董(こっとう)品としてはそれなりに価値があるのではないだろうか。

 こうした建物の所有者のほとんどは、現在ここには住んでいない。寒さや段差など古民家特有の使い勝手の悪さや自身の仕事などが理由のようだが、皆が口を揃(そろ)えて言っていたのが、個人の維持管理は限界でこのタイミングで利用できなければ家財も含め建物はもう壊すしかない、ということだ。

 土地の歴史を物語るとはいえ寺院や大名屋敷ほどの歴史はなく、あくまで民家であるため行政がすべてを保護していくことは困難で、維持管理は所有者に大きくのしかかる。伊万里市の歴史を伝える名もなき文化財ともいうべき旧商家は、令和時代まで何とか残ってきたものの放っておけば消失する運命だ。今回のプロジェクトはまだ始まったばかりだが、伊万里市の観光振興だけではなく地域文化を残すという意味も大きく、何とか成功してほしいと願うばかりだ。

 文化財の観光利用は賛否両論あり、本質的価値が失われないよう歴史文化の専門家や地域住民、所有者らの意見・意向を尊重することが重要になる。伊万里市のように失われつつある名もなき文化財という課題は日本中にあり、観光はその継承のための選択肢の一つになるだろう。
(東洋大学国際観光学部教授 森下晶美)


関連記事

スタートアップ

スポーツ

ビジネス

政治・国際

食・農・地域

株式会社共同通信社