経済的に厳しいひとり親家庭の子どもたちに本を読む楽しさを知ってもらおうと、絵本・児童書などの新品の本をクリスマスや春に毎年贈る活動を続ける元出版社社長がいる。
反戦活動を理由に出版業を戦前廃業させられた父親の岩崎徹太さん(1905~80年)が戦後の焼け野原の中で1946年再出発させた岩崎書店(東京都文京区)の社長を2020年12月まで務めた岩崎弘明さん(85)だ。
岩崎さんは、父親の徹太さんからは「反戦と平和への鋼のような強い思い」を、岩崎書店を児童図書出版の名門に育て上げた母親の治子さん(1911~92年)からは「子どもたちの成長を願う民主的・科学的教育への高い志」を引き継いだ。岩崎さんは「戦前苦しんだ両親は戦後、平和な未来への希望を子どもたちの中に見いだしました。私も同じ思いです。本を読む子どもは考える力や表現する力が育ちます。この力は戦争をしない平和な世の中を築く力にもなります。経済的事情から、いつでも読み返すことができる“自分の本”を手にできない子どもたちを一人でも少なくしたい」と語る。岩崎さんに、本を贈るこの活動「マイブックプレゼント」について聞いた。
この本返さなくていいの?
―本を受け取った子どもたちからどんな声が寄せられていますか。
「これ僕の本なの、やったあ。一緒に寝てもいい」(小学1年男児)という子どもらしい素直な喜びの声などを聞いています。また本を受け取ってすぐ「返さなくていいの」と親に尋ねた女の子もいたそうです。図書館に返さなくもていい「自分の本」を手にしたのが初めてだったのでしょう。経済的事情から本の購入を控えているひとり親家庭の子どもたちにとって、本と言えば図書館の本なのです。手元に“自分の本”があり、自分のペースでいつでも好きな時にゆっくり本が読める環境を子どもたちに提供したいというのが、このマイブックプレゼントという取り組みです。

―保護者からはどんな意見が届いていますか。
いくつかの母子家庭の母親からは「久しぶりに子どもに読み聞かせをしてあげられるきっかけになりました。途中、娘が“この字、私の名前だ”と指さしました。娘が文字を読めるようになり始めたことに初めて気付き感動しました」との感想や「毎日人の倍以上働いていますが苦しいことばかりです。子どもに寂しい思いをさせたり、満足なことをしてあげることもできません。(本のプレゼントは)子どもが喜ぶのでとても助かります。親子で読書の喜びを共有できることが一番うれしい」との声が届いています。
―親が子に読み聞かせる読書は親子一緒の貴重な時間になりますね。
昨今の物価高騰の影響で経済的に困っているひとり親家庭は多く、お母さんは家計を維持するのに必死で、なかなか親子一緒の時間を取れないのかもしれません。それでも子どもの幸せを願って読書の機会をつくるよう努力している母子家庭の母親の1人は「貧困からの脱出には教育と知識と情報収集が必要と思っています。そのために親子で図書館に行ったり、気に入った本はぜひ何度も読み返せるように購入したりしますが、家計の状況で購入できない場合もあります。うちの子どもたちは本が好きです。このまま本に触れる機会が途切れることなく成長してくれればと願っています」と切実な意見を寄せてくれています。
25年は6600冊贈る
―マイブックプレゼントはいつから始めたのですか。
岩崎書店の社長を退いた20年の翌21年に他の出版社に活動への協力を呼び掛けるなどの準備を始め、子どもたちに実際に本を届けたのは22年3月が最初です。この時は全国のひとり親家庭の子ども1454人にプレゼントしました。22年12月の2回目は5932人、23年5月の3回目は7845人、24年12月の4回目は5035人に贈っています。5回目は25年12月、今季のクリスマスです。今回プレゼントする本は6600冊に上ります。6600人の子どもたちに贈ります。
―そのようなたくさんの新品の本をどのようにして集めているのですか。
このマイブックプレゼントの活動の趣旨にご賛同いただいた出版社から各社の新品の本を寄付してもらっています。現在、講談社(東京都文京区)や小学館(東京都千代田区)の大手出版社をはじめ、あかね書房(東京都千代田区)、童心社(東京都文京区)、金の星社(東京都台東区)、岩崎書店などの児童図書出版社、絵本を作っているうさぎ出版(東京都千代田区)、コミックのほか絵本も出す白泉社(東京都千代田区)などが協力してくれています。そのほか、次回からですが、読書感想文全国コンクール課題図書を手掛けた作品社(東京都千代田区)が高校生向けの本の寄付を申し出てくれています。中高生向けの本を希望するご家庭もいますので、とてもありがたいです。
母子家庭支援団体が協力
―出版社のほかは、このマイブックプレゼントの取り組みにはどのような方が関わっていますか。
母子家庭を支援するNPO法人しんぐるまざあずふぉーらむ(東京都千代田区)や認定NPO法人ハーモニーネット未来(岡山県笠岡市)の皆さんに私の思いをご説明してご協力をお願いしましたところ、快く応じてくれました。
両団体の皆さんは母子家庭らひとり親世帯が抱えている経済的な事情をよく知っておられ、家庭の経済的格差が子どもたちの“読書格差”や“学力格差”につながることを心配しています。志を同じくする、ふぉーらむさんや未来さんを通じて、ひとり親家庭や支援団体に呼び掛け、本の希望者を募りました。またこのマイブックプレゼントの活動に賛同して個人の資格で準備段階から参加している岩崎書店取締役の山田陽一さんが、各出版社の寄贈本を指定倉庫に集めて母子家庭や支援団体に発送する作業を担ってくれています。

―今回は本の希望者数が、用意した6600冊を上回り、本が足りない結果になりましたね。
すべての希望者に贈ることができず、抽選で寄贈対象から漏れた568のひとり親家庭の皆さまに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいです。家庭の応募用に3940冊、支援団体の応募用に2660冊を用意したのですが、568冊足りませんでした。国の調査では全国に母子家庭は119万5千世帯、父子世帯は14万9千世帯(厚生労働省・2021年度全国ひとり親世帯等調査)とされていますので、まだまだ贈る本の数は少ないと感じています。これまで以上に、このマイブックプレゼントの意義をしっかり説明して、協力してくれる出版社の数を増やしていきたいと思います。
―出版不況と言われる昨今、どのように出版社へ働きかけを強めていきますか。
文化事業の一角を担う出版人の矜持(きょうじ)が問われていると思います。家庭の経済格差がそのまま読書格差、学力・教育格差につながるような事態を出版人として手をこまねいて見ているだけでいいのか、出版人としてできることがあるのではないかということを訴えていきたい。それとともにこの寄付の取り組みには、出版社の経営的視点からみてもそれなりの経済合理性があることを伝えたい。
―その合理性とは。
私も出版社の社長を務め出版業をめぐる厳しい状況は知っているのでご紹介しますが、マイブックプレゼントで子どもたちが手にする本は認定NPO法人に寄付していますので、本の定価の一部を「寄付金」として経費処理できます。青少年の読書感想文課題図書の一部がもし在庫になっている場合、この本を寄付すれば、経費処理できる上、在庫になっていた子どもたち向けの優れた本を子どもたちに読んでもらえます。出版社にもメリットがあるのです。

父母の思い継ぐ
―岩崎さんが出版社約10社や母子家庭を支援する団体の皆さん、岩崎書店取締役・山田陽一さんらと築き上げてきたこのマイブックプレゼントの活動を始めたきっかけは、やはりご両親の存在が大きいと思います。父親の徹太さんはどんな人でしたか。
日常生活では、ぜいたくがきらいで、身なりをそれほど気にしない人でしたね。よく「背広は夏、冬1着ずつで十分」と言っていました。戦前は出版した書籍が反戦的であるとして治安維持法違反容疑で投獄された父は、戦後の復興には「子どもたちの教育しかない」と強い決意で1946年、東京都千代田区神田神保町で岩崎書店をスタートさせました。書店の経営も「人道的社会主義者」として民主的経営を行い、社長として労働組合の諸君と会社に泊まり込み議論したこともあった、と当時食事を差し入れに行ったことがある母から聞いたことがあります。波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生だったと思います。

―母親の治子さんは。
東京深川・木場の大きな材木商の娘で、家族の反対を押し切って父と駆け落ち結婚した情熱家です。母は子どものころから読書好きで理科や科学の知識もありました。岩崎書店の児童図書編集長として「これからの子どもたちには自然科学の知識が必要になる」として、子ども向けの科学系の本を出し、学校向けベストセラーにしました。また50歳半ばで岩崎美術社を設立して美術書の企画・編集に取り組み事業を成功させました。当時としては、特別な生き方をした女性でありましたが、どんなに仕事で疲れていても、外で遊んで夜遅く帰ってきた私を、毛をぼさぼさにしながらも寝床から出て出迎えてくれるような人でした。
【インタビューを終えて】
「両親に比べると自分は“小粒”」とインタビュー中に何度か口にした岩崎さんだが、聞けばご本人は日産入社後、米国駐在員を経て1976年、36歳で独立、カナダ・バンクーバーや米カルフォニア州で長年、貿易会社や乳製品生産販売会社などを経営してきた実業家である。母の死を契機に92年帰国し、翌年から岩崎書店の経営に関与。経営不振の岩崎書店の事業を見事立て直した、スケールの大きな出版人でもある。
徹太さんの死後編まれた追悼集「追想 岩崎徹太」には、多くの学者や出版界の重鎮が追悼文を寄せており、自由な出版が禁止された戦前の「暗い歴史の谷間」を知る出版人として戦後、出版・表現の自由の大切さを訴えていた徹太さんのことを多くの知識人が、信頼していたことが分かる。
この追悼集を岩崎さんからいただいた時、1枚の青い付箋が少し頭を出していた。付箋のページは徹太さんが業界新聞に昔書いた短いコラム。タイトルは「庶民は人生の教師」で、「踏まれても、踏まれても、独立して生きる、反骨と温かい人間の心ができた」と東京下町の庶民の中で育った少年時代を振り返り、ある大みそかの寒い夜、暗い通りに1本のろうそくをともして、正月の餅を売るおばさんと買うおばさんの姿を見た時の思いをこうつづっている。
「(おばさん2人は)互いに顔を見ないように、一枚の正月の餅を売買している。悲しさ、その悲しさに同情する自然の心、何とも言えない世の中の不公平さを知った」
このコラムは「庶民の生活を深く見、知るとき、何ものにも優る人生の教師は庶民である」と結ばれている。知り合った多くの尊敬すべき知識人は「知識の先生」であっても、「人間の心の教師」は“東京下町の名もなき庶民社会の人々”であるとする徹太さんの述懐である。この庶民に向ける徹太さんのまなざしは、ひとり親世帯の親子を思う岩崎さんの温かい視線とどこか重ならないだろうか。
「母からは“愛情”を、父からは“自由”を、あまるほど与えられ、教えられたが、今になり、これをいかにして返すことができるのだろか」
岩崎さんが、母の治子さんの遺稿集に寄せた言葉である。自腹を切ったマイブックプレゼントの活動はその自問への答えの一つである。
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