「予想以上に厳しい審判だった」―1979年衆院選で自民党が大敗を喫したときの、大平正芳首相(当時)の言葉だ。投票箱のふたが閉まるまでが選挙であるため、まだ確定的なことは言えないものの、来る日曜日(27日)の開票速報を伝えるテレビ番組で、石破茂首相は難しい顔をして同様のことを言わざるを得ないかもしれない。
「自公両党でも過半数は微妙」「自民単独で200議席を下回る可能性も」など、マスコミ各社は事前調査にもとづき、自民党の厳しい戦いを伝えている。「勝つことはあり得ない。どのくらい負けを小さくできるかだ」(参院中堅)との見方はおそらく正しい。「森(喜朗)さんではないが、無党派層は投票に行かずに家で寝ていてくれればいい」(古参秘書)といった本音も聞こえてくる。
石破首相は9日夜の記者会見で衆院選の勝敗ラインについて、「自公で過半数(233議席以上)を目指したい」と力説した。当初は“かなり低いハードル”と見られていたが、今や“とてつもなく高いハードル”となっている。そしてもしも自公両党で過半数を割り込めば、瞬く間に自民党内で責任論が噴出し、「『令和の40日抗争』が始まる」(全国紙政治部OB)可能性すらある。
苦戦の焦りか、あるいは過半数割れの保険か、自民党は非公認とした候補者がいる各支部に2000万円を支給した。石破首相や森山裕幹事長は「党勢拡大のためであって裏公認ではない」と猛反論するが、結果的に逆風をさらに強めた感は拭えない。「あの人(石破首相)は一生懸命戦っている仲間のことを全く考えない」(前出・古参秘書)と憤る者もいる。
選挙後、石破首相はため息をつきながら、逆風の原因として「政治とカネ」の問題を挙げるだろう。その一方、総裁就任直後、石破氏は幹事長に求める資質として「選挙に勝つこと」に加え、「泥をかぶること」だと言い切った。よもやないだろうが、もしも自らの延命のため、敗戦の責任を森山幹事長に取らせ、詰め腹を切らせるようなことがあれば、石破首相はさらに株を落とすことになる。
確かに裏金問題で自民党全体が強い逆風にさらされてきた。だが、敗因の2割、いや3割くらいは間違いなく石破首相本人の責任だ。衆院選は「首相を選ぶ選挙」だからこそ、自民党は「選挙のカオ」をすげ替えた。その新しい「カオ」が豹変(ひょうへん)したり変節したりして、国民の期待を裏切った罪は小さくない。
「自由」や「演説」「討論」など、明治に入り、多くの訳語が造られたことは広く知られている。もちろん今日でも全ての英語に合致する的確な日本語があるわけではなく、外来語や借用語として用いられることも少なくない。だが、政治の世界で極めて多用され、重要であるにもかかわらず、わが国でいま一つ普及していない言葉がある。それは「マンデート(mandate)」だ。
しばしば「マンデート」は「権限」や「委任」などと訳されているが、「掲げた公約を当選後、政策として実行する権利と義務」といった意味合いがある。ひとたび総理総裁となれば、石破氏には総裁選で掲げた公約や明言した約束の履行に挑戦する権限が与えられるし、義務も負う。だから石破首相が「わが党は強権独裁政党ではない」と詭弁(きべん)を弄(ろう)し、「マンデート」をじゅうりんした時点で、すでに大きな敗因をつくったといってよい。
政治不信や低投票率をもたらしている大きな原因は、明確な公約が掲げられなかったり、当選してもそれが守られなかったりすることだ。「政治とカネ」の問題だけが原因ではないのだ。仮定の話だが、もしも自民党が大敗したとき、石破首相はどう弁明するのだろうか。自らのことを棚に上げ、評論家のように語るのなら、いっそ敗軍の将としてただ全責任を負い、兵を語らないほうがカッコいいかもしれない。逆にもしも語るのなら、まずは自らの非をわびるべきだろう。過ちては改むるにはばかることなかれとは言いえて妙だ。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。