2024年2月5日=1,765
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算
▽ジストの集い
先月、愛知県名古屋市で開催された、とある集いに参加した。がん患者とその家族が集まる会だ。さらにその病が自分と同じジスト(消化管間質腫瘍)となれば、おのずと親近感が増す。
午前10時から始まった会だが、私は正午過ぎに会場に入った。全部で30~40人ほど居たかな。前回は2023年7月、と年に2回の開催である。半年ぶりに顔を合わせたがん仲間そしてスタッフと、再会に心躍った。全身でハグしたいような。
今回は午後から数人のグループに分かれて参加者が話し合う形をとった。誰かが人前でしゃべるのをみんなで聞くというのも学び・気づきになるが、そこで聴衆が挙手して、大勢の前で意見を出し合うのはなかなか難しい。でも数人の班となれば気軽にわが言い分を話せそうな雰囲気が出て、何だかワクワクしてくる。
▽医者として
でき上がった班は四つ。何によって分けられたかと言えば、現在の病状である。目安は治療の具合。治療前もあれば、手術を終えたばかりの者もいる。あるいは私が最初に受けていた薬物の治療中、そして今の私と同じ治療(スニチニブ)を受けている者、さらに病状が悪化してまた別の薬物治療の者など。各班には進行役の司会を務めるスタッフが入り、何と医者も加わった。
実はこの会、ジスト患者を診療する立場である専門の医者が同席している。内科医そして外科医。いずれも当地域に限らず全国でも名だたるお二人だ。私もよく存じ上げており、この会に参加して初めて直接に会話を交わすことができるようになった。ありがたい。
ところで私、前々回ぐらいから自分は患者だけでなく、緩和ケア医としても紹介されるようになっていた。従って当日の私は医者として班に入った。3人の医者たちは各20分で4班を回る。
▽仲間との出会い
偶然にも私が最初に入った班は自分と同じ治療の組だった。司会者一人、患者一人、本人はおらず家族二人(別々の患者家族)そして私と、総勢5人の小さな組である。ほかの三つの班には10人前後いるが、やっぱり病状が進行してくると仲間はそう多くない。たとえ居たとしても集いに参加するのはしんどくなってくるのかもしれない。
その後ほかの三つの班も回ることができ、全員とまではいかないまでも何人かと直接に対話できた。素直にうれしい。わが配信やわが著について触れてくれた仲間が居た。治療を続ける中でやめていた美容院をほそぼそだけど再開した―と目をキラキラさせながら語ってくれた同士も。
初対面のひとりが声をかけてくれた。
「大変と聞いていたスニチニブ治療を受けながら、今も生きている大橋さんの姿、励みになります」
とんでもない。あなたからのその言葉、私こそ生きる力をもらいます。大感謝です。
▽先輩との別れ
一方いつも夫婦で参加していたにもかかわらず、この日は独りで来ていた方に出会った。相方が昨秋に旅立ったと。寂しい。彼からはあまたの気づきを頂戴していた。ジストの後輩として。例えば抗がん剤治療の副作用、その対処の方法など。手のひらならびに足の裏の皮膚が障害される手足症候群に対して、いま私が使用している塗り薬は彼に教えてもらったものである。半年後にまたここで会おうと、約束していたのに。今ここに彼はいない。とてつもなく寂しい。ご冥福をお祈りいたします。そして申し上げる。
「遠くない将来あちらへ向かった際には、ぜひぜひ再びお目にかかりたい」
ところでユーチューブらいぶ配信、しぶとく続けてます。チャンネル名「足し算命・大橋洋平の間」。配信日時が不定期なためご視聴しづらいとは察しますが、どこかでお気づきの際にはお付き合いくださいな。ご登録も大歓迎。
応援してもらえると生きる力になります。引き続きごひいきのほどなにとぞよろしくお願い申し上げまぁす。
(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)
おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、2022年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。
このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。