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【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】思い通りじゃないのも面白い
【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】思い通りじゃないのも面白い

【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】思い通りじゃないのも面白い

2023年7月28日=1,572
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


わが地元・三重県桑名郡の稲田、4月田植え直後です
わが地元・三重県桑名郡の稲田、4月田植え直後です

 

▼予定はピンポイント

2023年6月とある日、医学関連の学会参加を企てた。金・土曜の2日間開催で、金曜午前から土曜午後まで出席しよう。ちなみに場所は神戸市である。

ところが計画とは裏腹に、私が受診する腫瘍内科の診察がピンポイントで金曜午前に組み込まれてしまった。月に1~2度の診察に落ち着いてきたここ最近、それなのに重なった。皆さんもおありでしょう。めったにない予定なのに、狙ったように同日あるいは同時に二つの事案が発生する。いくらオンラインの時代とはいえ、時にはどちらかを選ばざるを得ない。

もちろん診療優先です。現在がん治療中のわが身やから。となると、金曜日の朝から血液および尿検査を行ってから主治医による診察、そして会計、さらに薬の受け取りなど、大体まあ午前中は覚悟しないといけない。午後になってから神戸市へ向かうとなると、新幹線にせよ近鉄にせよ、時間的に学会午後の部は出席しづらくなる。ならば土曜始発で行こう、と決めかけていたところ、ひとりの友人からメールの一報が入った。

「金曜の学会1日目が終わった後、三ノ宮あたりで仲間と集いませんか」

仲間というのは、がん発病後にオンラインで出会った人たちだ。生きている間に会いたい、そう思い続けた仲間に対面で会える。すぐさま参加の意思を返した。ここでふと考えた。もし夜7時ごろから2時間ほど懇談して地元・三重に帰るならば、翌土曜始発で神戸に行くのはかなりきつい。だったら現地に1泊しようと。

ここでもさらに思い通りにならぬが、わが人生。神戸でホテルがなかなか見つからない。学会参加者のみならずスタッフ・関係者も滞在するんだろう。しかも神戸、週末の観光客も多いはずだ。何せ世間はまるでコロナ禍前に回復しているようにも感じられる。

ようやくホテルの予約が取れた。神戸からは小1時間ほどかかる難波付近のホテルである。でも三重から通うことを思えば、片道1時間くらい全く問題なし。しかしこの難波での宿泊が、その後の行動に大きく影響を与えることなど、この時は知る由もなかった。予約が取れて心置きなく仲間に会える喜びに隠れて。

▼いいハプニングも

結局のところ近鉄で大阪に入り、まずはチェックイン。難波から阪神電車で三ノ宮を目指した。あいにくの降りだしそうな空で傘を手にしながら駅での待ち合わせ時刻よりも1時間あまり前に到着した私がその場で待っていると、偶然にも2年半ぶりに友人と再会した。がん仲間である彼は学会に参加した帰りのようだった。お互いに再会の喜びを言葉と握手で交わし、そして別れた。たまにはいいハプニングもあるようだ。

しばらくすると、待ち合わせていた者たちが徐々に集まってきた。総勢5人で店に向かった。仲間のようには食事を取れなかった己でも、再会あり初会ありいろんなことをしゃべり交わした。再会と言っても対面で会うのは初めてだった。とっても充実し満喫できる時間を過ごせた。

この店を出たのは、夜9時ごろだった。ホテルがある難波まで1時間はかかるし、明日土曜の学会参加も控えていることから、このままホテルに向かうつもりだった。しかし次の店も予定していると聞き、1時間くらいのつもりで2次会にも参加した。そこでは新たな仲間も加わり、話に花も咲き時がたつのも忘れた。浦島太郎の気持ちが分かるような気がした。まだまだ会は続く勢いに見えたところ、気がつくと11時を回っていたため、会を後にした。

▼浦島太郎の後始末

ここからが大変やった。なぜって。そう難波行きの最終列車が発車してしまっていたからだ。浦島太郎ばりの驚きだ。現代人ならば、ここでスマホを使って宿泊ホテルへの経路などを検索するんだろう。でもオレはその便利なスマホを持ってない。間もなくすると奇跡が起きた。梅田行きの列車(これも最終)がすーっとホームに入ってきた。わたしはとにかく乗り込んだ。こうしてなんとか梅田に着いたが、今度はタクシーがつかまらない。真夜中の駅前をさまよい、1時間ほどかけてなんとかタクシーをつかまえることに成功した。そして運転手さんに宿泊地の住所を告げた。よかったぁ~、ホテルの名刺をカバンに入れてて。ホテルのロビー到着時には、午前2時をゆうに過ぎていた・・・。

3か月経った 7月下旬、随分大きくなりました
3か月経った 7月下旬、随分大きくなりました

それからの行動やいかに。朝を迎えチェックアウト後、小1時間かけて神戸の会場へ向かい午前・午後の部と学会で知見を深めてきたのか。あるいは難波駅から近鉄を使い、わが地元・三重にそのまま戻ってきたのか・・・ ここはみなさまのご想像にお任せします。思い通りじゃないのも面白い。なんたって、新発見があるから。

ところでユーチューブらいぶ配信、ひっそりこっそり続けてます。チャンネル名「足し算命・大橋洋平の間」。配信日時が不定期なためご視聴しづらいとは察しますが、どこかでお気づきの際にはお付き合いくださいな。

そして恐れながらご登録いただけますと、後日でも視聴できまする。応援、よろしくお願い申し上げまぁす。

(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、2022年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。


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