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【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】この時期に思うこと
【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】この時期に思うこと

【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】この時期に思うこと

2023年6月28日=1,543
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


鈴鹿ほたるの里
鈴鹿ほたるの里

この時期なるといつも思うのは、がんの発病のこと。発病が2018年6月なので、いつもといっても、たった5年前からだ。5年前の6月、突然の大量下血に端を発して、緊急入院・輸血などを経て開腹手術。腫瘍も大きく、悪性度も極悪なため間もなく抗がん剤治療が始まらんとしていた。

あれから1年、2年、3年、4年と時を重ね、今年2023年で丸5年が経過した。本当によく生きてきたものだ。正直ここまで生きられるとは当時はもちろん、途中でも想像できなかった。途中で転移も出現し、副作用もより強い抗がん剤に変わっているからだ。

こうして生きてこられた5年間だったが、その間にコロナ禍でパート医者の職を失いかけ、患者仲間と会える機会もことごとく奪われ、従来の生きる意味は消え去った。そんな時に思い出すのが、発病時のことあるいは転移出現時のことである。大げさに聞こえるだろうが、死を覚悟した瞬間だ。
「あの時を思えば、大抵のことは大したことない」

▽鈴鹿ほたるの里

そんな中で、がん発病の翌2019年6月から毎年欠かさず続けていることが、実はひとつある。それは、地元三重県の某場所におけるホタルとの出会いである。とある場所は、鈴鹿市の山あいにある

「鈴鹿ほたるの里」。

今年も行くことができた。6月の平日とある日、夜7時ごろ現地の駐車場に到着した。まだ周りには明るさが残っている。5回目の訪問になるけれど、年1回しか行かないため、迷いつつもなんとかたどり着けた。

われわれが着いたころ、まだ車も人も少なかったが、暗くなるにつれて徐々に増えてきた。専属秘書1人(※編注:妻のあかねさん)も同行している。ただし午後8時前になっても主役が登場してくれない。暗がりから声がした。

「今日は、ホタル遅いなぁ」

もしかすると今日の出現が遅いのか、あるいは今年は登場回数が少ないのか。でもせっかくやってきた2023年、もうしばらくはこのまま居ようと決意した。それから15分ほどたったろうか、ようやく現れ始めた。いくつかの淡い光が。

 

鈴鹿ほたるの里 三重県鈴鹿市西庄内町にあります
鈴鹿ほたるの里 三重県鈴鹿市西庄内町にあります

▽少なくてもいい

なるほど去年よりは少なそうだが、数など問題やない。少なくてもいい、少なくていい。ひとつの命に触れられる、これだけでオレにはもう十分。これを待っとったんや。1年ぶりに再会できた。また1年生きてこられた。素直にうれしい。鬼も笑うから、来年のことなど分からない。分からないから考えない、求めない。ただただ5回目来られたことが大感激です。ホントに本当にありがとぉ~。

でも日が暮れた帰り道は、案の定来たはずの道をそのまま戻れず、迷ってしまった。もちろん車にカーナビはない。

ところでユーチューブらいぶ配信、ひっそりこっそり続けてます。チャンネル名「足し算命・大橋洋平の間」。配信日時が不定期なためご視聴しづらいとは察しますが、どこかでお気づきの際にはお付き合いくださいな。
そして恐れながらご登録いただけますと、後日でもしばらく視聴できまする。応援、よろしくお願い申し上げまぁす。

(発信中、フェイスブックおよびYouTubeチャンネル「足し算命・大橋洋平の間」)


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)、2022年11月「緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。


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