女性初の首相となった高市早苗氏は、就任早々の10月26日、マレーシアで開かれたASEAN首脳会議に出席して英語でスピーチを行った。それほど長いスピーチではなかったが、彼女の「英語力」と「度胸」を高く評価する意見がネット上を飛び交った。その一方、「何を言っているのかわからない」「あれでは伝わらない」といった辛口のコメントを寄せる評論家もいた。
近年、日本の政治家の「英語力」はかなり高まっている。決して学歴だけでは測れないものの、昨年の自民党総裁選に立候補した9人のうち、小泉進次郎氏を含め、実に6人が米国の大学や大学院を卒業している。4人はハーバード大学のケネディ・スクール(行政大学院)修了者だ。高市首相に留学経験はないが、米国議会で立法スタッフとして勤務したことがあるため、彼女の「英語力」が期待されたのかもしれない。
しかし、高市首相はもちろんのこと、ほとんどの日本人は英語のネイティブ・スピーカーではない。だから、英語に堪能でなくてもいいし、流暢(りゅうちょう)に話せなくても無理はない。それに、政治家、とりわけ首相や大臣ともなれば、首脳会談や国際交渉の場では、たとえ自前の「英語力」が高くても、誤解を招かないように通訳が入る。もっとも、たとえ通訳が入っても、1981年の日米首脳会談のように“同盟関係”を巡る解釈に齟齬(そご)が生じ、外相辞任に至った例もある。
「首脳がなまじ英語を話すよりも、正確な日本語を使うほうが遥かに大事だ」(元経済官庁幹部)との指摘もある。国会答弁でもしばしば登場する「前向きに検討」などは、まさに“通訳泣かせ”の表現なのだ。かつて田中角栄氏が首相になったとき、盟友の大平正芳氏は「あんたの口癖は『わかった、わかった』だが、その言葉は世界では誤解されやすいから気をつけるように」と助言したところ、田中氏はすぐに「わかった」と答えたという笑い話も残る。
たとえ外務官僚の通訳能力や自動通訳アプリの性能が高まっても、英語は話せないよりも話せたほうがいいに決まっている。諸外国での演説や講演を英語で行えれば、それに越したことはない。だが、外交の目的はあくまでも国益の追求にほかならない。会談や会議に通訳が入ることを踏まえれば、状況に応じたあいさつや立ち話ができ、相手に憎からず思ってもらえる程度の「英語力」があれば、国益追求の観点からは、まずは十分なはずだ。
日本の首相が初めて英語をとり入れたパフォーマンスを演じたのは、40年以上も前の中曽根康弘首相(当時)だろう。米国のレーガン大統領(当時)との間で有名な「ロンヤス関係」が築き上げられたときだ。だが、そのときも中曽根氏の英語は一部の“識者”から虫眼鏡を当てられてやゆされた。首脳会談後のコメントで「フルーツフル・トーク(実り多き会談)」と言うべきところを「フルーツ・トーク(果物の話)」と言い間違えてしまったからだ。
逆に宮沢喜一氏は田中氏に「英語屋」と皮肉られるほどの“英語の達人”であった。しかし、通産相として臨んだ日米繊維交渉を妥結に導けず、“タフネゴシエーター”にはなり得なかった。外相会合で巧みなハーモニカを披露した宇野宗佑氏も、ピアノで見事に「レット・イット・ビー」を奏でた林芳正氏も、多少は芸が身を助けたことは否めないが、それらは決して“外交の本質”ではない。
今の時代、英語が流暢な元帰国子女は決して珍しくない。中には文字通りのバイリンガルやトライリンガルもいるが、母国のことや日本語をからっきし知らない者も多い。以前、元帰国子女のDJがラジオで「出不精でもいいじゃないですか、私は太った人でも好きですよ」と平然と語り、リスナーの失笑を買ったことがある。日本人ならばまずは日本語を、日本の政治家ならばまずは日本の国益が何よりも大事であることは言わずもがなではないか。
国際会議などの場で、隅っこでたたずんでいたり、他の首脳が近づいてくると慌てふためいたりするのは論外だが、日本国の首相なのだから、最低限の「英語力」と立ち振る舞いさえ心得ていれば、合格点が与えられてよい。永田町でどのくらいのレベルが望ましいのかと問うと、少なからぬ人が「安倍晋三」の名前を口に出す。安倍元首相は決して「英語力」が高かったわけではないが、トランプ大統領と親しく話す光景を人々に強く印象づけた。首相の「英語力」は、まずはそれで十分ではないか。少なくとも高市首相は“ワークライフバランス”を崩すほどは、英語を勉強しなくてもいいはずだ。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。
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