「今年の干支(えと)は?」と問われれば、ほとんどの人が「辰年(たつどし)!」と答えるでしょう。暦に少し詳しい人や年配者であれば、「甲辰(きのえたつ)」と言うかもしれません。
干支は、風水や五行、陰陽道などで用いられる10種類の漢字(十干(じっかん))と12種類の漢字(十二(じゅうにし)支)の組み合わせによって暦を表したものです。干支は暦の他にもそれぞれ、さまざまな場面で使われてきました。十干の一部は、昔は成績評価などに用いられ(甲・乙・丙・丁)、十二支は時刻(丑(うし)三つ時)や方角を表しました。辰年というのは、生き物になぞらえた「支」の方だけを拾っていることになります。
10種類の干と12種類の支が、それぞれ順繰りに回っていくので、その最小公倍数である60年に一度の周期で同じ干支になります。阪神甲子園球場は、その開設年である1924年が「甲子(きのえね)」であったことに由来します。
さて本題です。2年後の2026年は「丙午(ひのえうま)」です。その60年前の1966年ももちろん丙午でしたが、この年日本では、出生数が前年比マイナス25%という極端な減少となりました。丙午の年に生まれた女性は不幸になるという迷信によって、丙午の出産を避ける動きが顕著となり、出生数が記録的な減少となったのです。翌67年の出生数は一転大幅増となりましたが、前年の減少分を取り戻すには至りませんでした。それだけ丙午にまつわる迷信を信じた人が多かったのです。
なぜそのような迷信が広まったのでしょうか。これは、江戸時代前期、井原西鶴の「好色五人女」をベースに浄瑠璃、歌舞伎の題材になった八百屋お七が、丙午の生まれだったという言い伝えに由来します。八百屋お七は、江戸の大火で焼け出された際に恋仲になった男性に会いたい一心で自ら火を放ち、それが発覚して死罪となった女性です。本当にあったかどうかも分からない話ですが、娯楽の少ない江戸時代、その話がバズり、その後長く丙午の出産が避けられるようになりました。
2026年、出生数はどうなるでしょうか。丙午以外にも、出生数減を危惧する理由があります。23年は婚姻数が前年比マイナス5・9%の大幅減となりましたが、その影響が26年頃に出ると予想されます。結婚して2~3年後に第1子を出産する夫婦が多いため、結婚が減るとやや間をおいて出生数が減るのです。
また、迷信を気に病み、出産を翌年に遅らせようという人が出てくるかもしれません。ただ、1966年の出生減に対しては、結局翌年取り戻すことができませんでした。出産年齢が上がっている今回は、さらに厳しい状況が予想されます。60年代、女性の第1子出産時の平均年齢は25歳、一方、足元では31歳に届こうとしています。もちろんその配偶者である夫の年齢も、女性に準じて上がっているはずです。1年遅らせるつもりが、年齢が上がることによって、妊娠しづらくなる夫婦が出てくるかもしれません。
断言します。八百屋お七は創作であり、丙午は迷信です。年配者は変な横槍(よこやり)を入れることなく、若い世代が自らのライフプランに則って出産時期を選べるよう、後押ししなければなりません。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.11からの転載】