新年を迎えてもコメ相場の高騰が続き、ついに関税を払ってでも米国産を輸入する業者まで現れた。内外価格差の縮小で少し割高でも「量」を確保したいという判断だ。コメは関税を払えば輸入できるが、これまでは国家貿易であるミニマムアクセス(MA)の枠内に封じ込められてきた。
この枠組みができたのが1993年に決着した多角的貿易交渉(ウルグアイラウンド)だ。日本の農業政策は大きく転換し、食糧管理法の廃止と食糧法の施行(95年)、農業基本法の廃止と食料・農業・農村基本法の制定(99年)へとつながった。四半世紀を経て昨年5月に基本法が改正され、コメの生産・流通は抜本的に見直す時期を迎えている。
偶然だが、このタイミングで外務省が93年の貿易交渉を含む外交文書を昨年末に公開した。膨大な資料だが、コメ政策を検証する上で新事実が明らかになるかもしれないと期待し、正月の休暇中にざっと目を通した。残念ながら既に報じられた内容ばかりで、いわば政府としての「正史」を再確認するだけの徒労に終わった。
ウルグアイラウンドにおいて、コメ市場は他の分野から切り離され、日米の徹底した秘密交渉が進められた。農水省と米農務省のごく少数の官僚が密会を重ね、関税化の例外とする代わりにMAを上乗せする形で93年夏に大筋合意に達し、同年10月の日米農相会談で最終合意した。関係者らの証言により、秘密交渉の存在は確認されているが、その全容やMAの運用が決まる経緯は不明なままだ。
公開された外交文書では、秘密交渉の存在そのものが葬り去られ、コメの記述自体がほとんどない。唯一興味深いのは、4月17日にワシントンで開かれた宮沢喜一首相とビル・クリントン大統領との会談だ。
首相は、参議院で自民党が過半数割れとなり、食管法の改正は「問題外」と説明した上で、「現実的な合意はできると思う。しかし、例えば関税化を先送りして5年先の関税化というような案では、ダメである」と述べ、関税化の例外扱いと国家貿易を守り抜く強い意向を示していた。「現実的な合意」こそ、今に続くMAの運用だ。
会談記録のこの部分には不自然な修正さえある。外交文書は当時の行政の判断を検証する材料としての限界を露呈した。このままではコメの政策を検証できない。当時の関係者は他界する人も相次ぎ、資料は破棄、散逸している。旧食糧庁を中心にした関係者の証言は不可欠だ。外交文書の公開をきっかけに「墓場まで持って行く」と覚悟した人が、続々と証言に転じる―そんな初夢の実現を願いたい。(共同通信アグリラボ編集長・石井勇人)