今やどこを向いてもDX(デジタルトランスフォーメーション)花盛りである。DXとは本来、「人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」と定義されるが、周りを見れば、デジタル化もペーパレス化も一緒くたで、パソコンやスマホなどの情報通信技術(ICT)を使うことが“善”、紙媒体を用いることが“悪”といった風潮さえ漂う。
こうした流れは、先進科学技術と対極にある永田町にも押し寄せている。議員秘書の重要な仕事は来客対応と陳情処理、そして代理出席であったが、一連の情報技術革命によってそれらは変化しつつある。「時代の流れに逆らえば仕事を失うだけ」(ベテラン秘書)であるため、好むと好まざるとにかかわらず、秘書がパソコンを見つめながら一日の大半を過ごすようになって久しい。
まだまだ不十分との指摘もあるが、さかのぼれば2001年情報公開法や2008年国家公務員制度改革基本法などによっても、秘書の活動は変化し始めた。それまでは役所への「口利き」や「便宜供与依頼」は当たり前であった。むしろ、地元や支持団体と省庁をつなぐことこそ、秘書の腕の見せ所であったが、政官接触の記録化によって一定の制限が加えられた。
事務所内の人間関係も、一昔前とは異なる。スマホが普及、というより“体の一部”になったことで、今や秘書同士の連絡の主流はメールやLINEになっている。それどころか、議員と秘書との関係も“アナログ”ではなく、“デジタル”に移行しつつある。「昨日、10日ぶりに代議士と直接話したよ。だいたいのことはメールで足りる」と平然と言う事務所責任者もいる。
当然のことながら、首相官邸はデジタル化推進の先頭に立とうとしている。「親バカ」と非難されながらも、岸田文雄首相は長男を政務秘書官に起用したが、その際に理由の一つとして挙げたのが「ネット情報やSNS発信への対応」であった。その説明をそのまま信じる者は皆無であるが、首相が「ネットうんぬん」を堂々と方便で言える時代になったことは確かである。
一方、この数年、永田町でとりわけ進んでいるのがペーパレス化である。自民党本部のほとんどの会合ではもはや紙の資料は配られず、議員席にタブレット端末が置いてあるだけである。秘書が代わりに資料をもらおうとしても、教えてもらえるのはURLやQRコードだけで、手ぶらで戻ってくる場合が多い。
こうしたペーパレス化の動きは、紙資源の節約といった環境への配慮が始まりだと言う者もいる。また、「役所には『資料は紙でくれ』と言い続けてきたが、泣く子とコロナには勝てなかった」(秘書経験のある自民中堅議員)との証言があるように、永田町や霞が関でペーパレス化が一気に進んだのは、ほかならぬ新型コロナウイルス感染対策の観点からであったが、根底にデジタル化の大きな流れがあったことは否めない。
顧みれば、1993年、政治主導の政策形成を実現するため、政治改革の一環として政策担当秘書制度が創設された。古い伝統や慣習が重宝されながら蔓延する永田町では、この30年間、残念ながら政策担当秘書制度は十分にその機能を果たしてこなかったし、国会改革も足踏み状態であるが、今回のデジタル化の流れによって何かが大きく変わろうとしている。
しかし、永田町から“紙”だけではなく、“温もり”までもが消えてしまえば、それはデジタル化の進展であっても、DXにはならないとの指摘もある。政治の世界が過度にデジタル化することに何かしらの不安やとまどいを感じる者がいても、それだけで「旧世代」「前世代」といったレッテルを貼らず、よくよく弊害を吟味した方がいいかもしれない。何ごともさじ加減が肝要である。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。