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古都・奈良で現代の薬猟 自然の恵みを守り未来につなぐ人々

 聖徳太子に薬の活用を進言された推古天皇は飛鳥時代の611年、大和莵田野(うだの=現在の奈良県宇陀市)で、薬猟(くすりがり)を行った。健康な人生を過ごすために自然の恵みを活用しようと、男性は鹿の角、女性は薬草を求めて駆けたという。長い時代を超えた令和の時代も、奈良では、健康、幸せを願う〝現代の薬猟〟が続いている。


▽育てて、薬草の可能性発信

キハダの木を切り出す薬草生産者たち(ポニーの里ファーム提供)

 

 7月半ば、奈良県高取町の森林で、蒸し暑い風と激しい雨に体中をびっしょり濡らしながら黄蘗(キハダ)を収穫していたのは、県内の薬草生産者、製薬メーカーの関係者たち。生薬として使うことができる樹齢20~30年のキハダは、幹の直径が20~30センチ余りに及び、森から切り出すのは、薬草採集のイメージをはるかに超える力仕事だ。

 

青々と茂る樹齢20~30年のキハダの木(ポニーの里ファーム提供)

 

 有限会社「ポニーの里ファーム」(奈良県高取町)で統括マネジャーを務める保科政秀さんも中心人物のひとり。ポニーの里は障害などで最適な仕事を見つけられない人々と後継者不足に直面する農家を結びつけ、農業、福祉、まちづくりを連携した事業を展開。主要生産物の薬草を植樹、栽培している。「汗だくになり、いったい何をしているのだろうと思うこともあるが、まだ出会っていない誰かが10~20年後に生薬を使い、体を整えるきっかけになる。未来を創る仕事だと考えています」(保科さん)。

 

ポニーの里ファームの保科さん

 雨が上がった翌日に行われたのは、キハダの木を剥くワークショップ。参加した約30人の親子連れや若者が保科さんらに教わりながら専用の刃物を入れると、ザクザクと音を立て真っ黄色の樹皮の内側が現れた。ここが「苦味健胃」と称され、胃腸の調子を整えたり、炎症を抑制したりする生薬になる。「すごい黄色、やばいな。わっ、苦い」。地元の医大生が樹皮を指で触れてなめ、驚きながら叫んだ。

 

キハダの樹皮を剥ぐワークショップ=7月、御所市

 

 ポニーの里ではキハダのほか、大和当帰、シャクヤクなど6種の薬草を生産。製薬メーカーなどに出荷するだけでなく、キハダの実を使ったクラフトコーラ、幹からできた木工品のマドラーなどオリジナル商品もある。保科さんの夢は、奈良だけでなく全国の薬草文化や歴史をつなぎ、日本全体の薬草文化を海外に発信すること。薬草の可能性を知ってもらうために、大学生や子どもを対象にした薬草ツーリズムも企画し、奈良に人を呼び込んでいる。

 

▽薬に込められた願い、祈り伝える

 収穫された国産の薬草を原料に、丸薬「三光丸」を生産する三光丸。後醍醐天皇に名付けられた丸薬づくりの歴史は鎌倉末期より前にさかのぼり、併設する「三光丸クスリ資料館」(御所市)では、奈良に薬用植物が伝わってからの歴史、漢方薬の作り方、効能などを多彩な展示品を通じて伝えている。

 

 

三光丸クスリ資料館の浅見館長

 

 飛鳥・奈良時代のリーダーについて、館長の浅見さんは「当時の最先端の医学・ 薬学を取り入れ、日本人が病気にならないこと、または病気になっても治し、長生きできることを国家施策としていた」と解説する。都のお膝元の社寺仏閣で始まった製薬が民間に広がり、やがては配置薬業が勃興し、近代、現代につながった。

 資料館には、配置薬業界で大和売薬の競合であった富山売薬との紳士協定「仲間取締議定書連印帳」など、珍しい資料もある。全国で値引き・中傷合戦が繰り広げられた幕末、三光丸当主・米田丈助が富山売薬の関係者を呼び寄せ、15カ条の取り決めを結んだ。
 「第1条が『諸物価高騰の折、薬価を一斉に下げる』。これで双方賛成になったのではないでしょうか。米田丈助が場を盛り上げ、皆の思いを一つにしたんですね」。

 

 

仲間取締議定書連印帳。三光丸当主の米田丈助の署名が見える(三光丸クスリ資料館提供)

 

 このほか、実際の生薬、薬づくりの道具、薬用植物を詠んだ万葉集の和歌もある展示には、健康や幸せへの願いが込められている。自分の中にある治癒力を高めるところに主眼を置くのが、和漢・漢方。「今、大きな病院でも漢方療養科を取り入れようとする動きがある。病気になる前にもっと元気な体をつくろう、自然のものを取り入れようという考えが世界中にある中で、われわれが一助になれるんだったらいいなと思います」(浅見さん)。

 

御所市の三光丸クスリ資料館

 

▽薬の都でもあった奈良、続く研究 

 奈良県も2012年に「漢方のメッカ推進プロジェクト」を立ち上げ、現代の薬猟を盛り上げる。奈良県薬事研究センターの西原正和総括研究員は、薬用植物の成分や効能を分析しながら、世界的に有名な古都・奈良を、薬の側面からも掘り下げている。
 「例えば、唐招提寺を創建した鑑真和上は、仏教・律宗だけでなく、薬にも大きな影響を与えた」と西原さん。鑑真は752年、遣唐使とともに渡来し、中国の生薬を伝授。「6回目にようやく日本に到着できたという渡航の苦難で視力を失っていましたが、味、匂い、手触りなどで、(当時の)日本に流通する生薬を全て鑑定したという歴史があります」

 

 

唐招提寺に咲く蓮の花

 

 鑑真と同時代、薬用植物の普及に力を注いだのが、聖武天皇の后である光明皇后。興福寺(奈良市)に施薬院を開き、日本最古のサウナとされる法華寺(同)の「からふろ」で民の背中を流した慈愛の象徴だ。鑑真は、その光明皇后の病を治したと伝わる。「有名な歴史上の人物と薬は深くつながっていて、漢方薬に興味を持つ上で面白いところ」。唐招提寺では現在、鑑真がつくった薬草園の復元が進み、一部が完成、公開されている。

 

奈良県薬事研究センターの西原総括研究員

 

 歴史ばかりでなく、新しい薬草トピックも。根っこが血流改善に薬効がある生薬になる大和当帰は2012年、葉が「非医薬品」扱いとなり、茶や調味料、入浴剤、化粧品、香りづけなどへの活用が広がっている。昨年には、シャクヤクの花酵母が発見され、葛城市の酒蔵がどぶろくの仕込みに成功した。

 

 

大和当帰の葉。「非医」扱いとなり、食品や美容品への活用が進む(ポニーの里ファーム提供)

 

 自然由来に関心が高まる一方、日本の生薬原料の自給率は約1割と低い。大半は主に中国などから輸入されており、西原さんによると、奈良県が特産化する大和当帰やシャクヤクですら、3割程度。国産の良さは、育てている人や場所が見えること。「生薬がどうつくられているか、(奈良で)知っていただきたい。原料となる薬用植物を知れば、自ら病を治す力が気持ち的にも上がっていくのでは」(西原さん)。薬猟が行われた奈良は、薬文化の発信地であり続ける。


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