岸田文雄首相は、浮世の風の冷たさを一段と感じているはずである。自業自得とはいえ、わずか1年前に61.5%であった内閣支持率は32%に半減し、かつて「キッシー」の愛称で親しまれたりもしていたものが、今や「増税メガネ」のあだ名が国民の間で浸透する。経済対策の一環として減税を打ち出してみても、側近議員は「なぜか『減税メガネ』『還元メガネ』とは言ってもらえない」と嘆く。
のみならず、岸田首相は外相時、メガネベストドレッサー賞を受賞したことがある。「政治家としての意思の強さをメガネで一層引き立てた」というのが受賞理由であった。本人は「メガネを絶えずかけるようになってから、メガネが顔にないと物足りなくなるほど愛着を持つようになった」とあいさつしたが、まさかそれから8年後、このようなあだ名がつけられるとは夢にも思っていなかったはずである。
しかし、そもそも日本人男性の「常にメガネをかけている」割合は約4割に及び、永田町でも決して珍しくない。近年の首相でも、福田康夫氏や小渕恵三氏などは常にメガネを使用していた。また、一部のコメンテーターが指摘するように、メガネをかけるのは目の屈折異常が理由であり、本来、やゆしてはならないことである。
にもかかわらず、なぜ「増税メガネ」のあだ名に多くの国民が妙に納得するのか。すでに“国の借金”は1300兆円に達し、今後の防衛予算や子ども関連予算を踏まえると、近い将来の増税は不可避であり、すでに岸田首相の頭の中にはその予定が入っているはずである。だが、それならば、「増税野郎」「増税総理」だけで十分である。
「『増税メガネ』は国民の今の岸田像を表しているのではないか。国民に胸襟を開かない、自分の言葉で語らない、それでいて油断できないと見られている」(自民中堅議員)との指摘には、おのずとうなずける。もともと安倍晋三元首相と大きく異なり、人懐っこさや人情味を感じさせる政治家ではなかったが、ピカピカに磨かれたメガネのレンズと相まって、「増税メガネ」というあだ名には、最近の岸田首相と国民との距離感が表れている。
全国紙デスクの一人は、「『増税メガネ』がこれだけ流行するのは、もはや岸田首相が国民から信頼されていない証」だとし、「安倍元首相の政策が国民から支持されないことはあったが、性格は好かれていた。だが、今の岸田首相は性格と体質が嫌悪されてしまった。だから内閣改造にしても減税にしても、何をしても裏目に出るし、評価されない」と解説する。
岸田首相に「空気を読む力」や「国民に訴える力」が欠けていることは、誰もが認める。2年前に自ら豪語した「聞く力」も、あまり評価はされていない。4年7カ月間の外相経験から、首相就任時には「外交の岸田」を自負していたが、たまたま広島サミットの議長を務めただけで、これまで大きな軌跡を残したわけでもない。ウクライナ情勢や中東問題で岸田首相に何らかのリーダーシップを発揮してほしいと期待する国民は今や皆無に等しい。
支持率がこれだけ低迷しても、自民党に代わりうる政党がなく、また、岸田首相に代わりうる候補もいないため、もうしばらく現政権は続くことになる。しかし、それは国民が現状を許容・容認しているのではなく、我慢をしているに過ぎない。自民党のベテラン議員は、「不満のマグマがどんどんたまり、どこかで一気に噴出することを恐れる。その前に鎮めるのが自民党の知恵だが」と言葉少なに語る。
岸田首相は年内の衆院解散を断念したようであるが、「目は心の鏡」とは言い得て妙で、むしろこの機会に与野党の国会議員は国民の目をよく見てみる必要がある。国民の本当の苦しみや思い、願いが分からなければ、政治と国民との距離はますます遠くなり、いずれ首相のメガネも見えなくなるかもしれない。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。