「言論の府」としての最敬礼

 7月10日に行われた参院選で、自民党は改選議席を8議席も上回る63議席を獲得した。獲得議席の上では確かに「自民圧勝」「与党大勝」であることは間違いない。だが、自民党への強い追い風は感じられなかったため、むしろ「野党の惨敗」といった方が適切かもしれない。立憲民主と国民民主、共産の3党だけで10議席も減らし、選挙前の威勢はすっかり影をひそめた。

 しかし、たとえ激戦を制して当選を果たしても、自民党候補の各事務所も異例なほど静かであった。万歳三唱もなければ花束贈呈もなく、拍手もまばらだったところが多い。喪章をつけたままの当選者の姿もあった。それもそのはず、安倍晋三元首相が銃弾に倒れてからまだ数日しかたっておらず、自民党関係者ならずとも表情は暗く、蛮行への強い怒りと深い悲しみを抱いている。

 安倍元首相の通夜は11日、葬儀は12日に行われるというが、いずれ内閣・自民党合同葬が営まれると見られている。憲政史上最長の在任期間(通算8年8か月)を記録し、多くの実績を残したことから、国葬や国民葬を求める声もあるが、岸田文雄首相は「まだまだ先のことまで考える余裕がない」と明言を避けた。

 ただ、昭和天皇を除けば、現行憲法下で国葬の被葬者となった唯一の例は吉田茂元首相である。あらためて記すまでもなく、吉田元首相は講話条約を締結し、わが国の独立回復を成し遂げた。国民葬が営まれた例も一度しかなく、沖縄の祖国復帰を実現した佐藤栄作元首相が被葬者であった。今後、どのような追悼方法をとるのかをめぐっても、岸田首相は頭を悩ますことになる。

 一方、安倍元首相が現職の国会議員であったことから、衆院本会議場で追悼演説が行われる。中選挙区制の時代には、同じ選挙区のライバル議員が登壇することが一般的であったし、党首クラスの物故者となると、対立政党の重鎮が演壇に立った。大平正芳首相の追悼演説は社会党の飛鳥田一雄委員長が立ち、現職首相の急逝を悼んだ。

 最近は他党よりも、比較的近い関係にある、同じ政党の議員が演説することが増えてきた。昨年の自民党の竹下亘元総務会長の追悼演説も、同じ党のみならず、同じ派閥の小渕優子元経産相が行った。距離感が近い方がエピソードも多く、物故者の軌跡を浮かび上がらせやすいからかもしれない。何よりも、演説の言葉や節々から気持ちが伝わりやすい。

 誤解を恐れずに記せば、これまでの追悼演説や哀悼演説の中には、形式的な弔意だけが込められたものもあった。逆に、率直な思いが盛り込まれ、聞く者の琴線に触れる演説もあった。村山富市元首相の小渕恵三前首相への追悼演説の際には、「この沖縄サミットだけは君の手で完結させてほしかった」と語気が強められ、多くの議員の涙を誘った。

 さらにさかのぼれば、「私はこの議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります」で始まる、社会党の浅沼稲次郎委員長への追悼演説も、推敲(すいこう)を重ねられた名演説として語り継がれている。そして演説者は現職の首相、池田勇人氏であった。首相が追悼演説を行うことは珍しく、池田首相と大平正芳首相が数少ない例外である。奇しくも、二人とも宏池会が輩出した首相である。

 安倍元首相の追悼演説を誰が行うかは、まだ決まっていないが、野党党首などではなく、首相経験者になる可能性が高い。岸田首相がみずからが壇上に立ち、安倍元首相への思いを訴えることも十分にあり得る。だが、だれが演壇に立つとしても、歴史に残る名演説を議場に響きわたらせることこそ、「言論の府」にいる者の特権であり、厳粛な使命のはずである。好き嫌いはともかくも、政治家としての功罪を含め、言葉による安倍元首相への最敬礼を示すことができれば、国会の威厳を少しは高められるのではないか。

(※肩書はいずれも当時)

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。

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