総理の“出自”に変化あり

 江戸時代末期、幕府の使節団の一員として米国を訪れた福沢諭吉が「初代大統領ワシントンの子孫は何をしているのか」と尋ねたところ、誰も知らなかったという有名なエピソードが残っている。封建制と世襲制が当たり前であった当時の日本人にとり、それは驚き以外の何ものでもなかった。

 華族制度を中心に、明治以降も一部で世襲制は続いたが、いくらかの例外を除けば、政治権力を握ったのは軍人出身の政治家たちであった。その多くは家が貧しくても努力を重ね、立身出世を果たした者たちである。米国と同じになったわけではないが、少なくとも首相の子どもだからといった理由で、将来が保証されることはなくなった。

 戦後、軍人から政治家になるキャリアパスを取って代わったのは、ほかならぬ高級官僚である。勉学に秀でていれば官僚になって政治の道に進むことも、さらに運と実力があれば首相の座を射止めることもできるようになった。のちに首相となる岸信介氏と佐藤栄作氏の兄弟は官僚であったが、生家は酒造業を営んでいた。池田勇人氏や福田赳夫氏、大平正芳氏は大蔵省(現、財務省)に入って自力で這い上がり、やがて位人臣を極めた。

 わが国の戦後復興と高度経済成長の成功要因は数多くあるが、その一つが官僚、とりわけ官僚出身の政治家が日本をうまくけん引したことである。官僚出身の各首相も、それなりの足跡を残した。そうした首相に“飽き”が生じると、生粋の叩き上げである田中角栄氏が「今太閤」と持てはやされ、万雷の拍手を浴びて登場したが、その後も、福田氏や大平氏、中曽根康弘氏といった官僚OBが政権を担うことがあった。

 しかし、官僚出身の首相が当たり前、少なくとも珍しくなかった時代はとうに過ぎた。宮沢喜一氏は世襲議員でもあったが、早くから将来を嘱望された官僚出身議員であった。「嘘をつこうと思ってついたわけではない」と述べて退陣し、1955年体制を終わらせた首相として歴史に名を刻んだが、実はその後の約30年間、官僚出身の首相は誕生していない。

 官僚出身議員が減った分、相対的に二世、三世の世襲議員が増えた。数え方にもよるが、今や自民党議員の3人に1人以上は世襲議員である。さらに、1993年以降の自民党首班政権のうち、非世襲議員の首相は森喜朗氏と菅義偉氏だけで、あとの7人はすべて世襲議員である。「日本の権力構造は明らかに“先祖返り”した」(自民党中堅議員)との指摘は、あながち間違いではない。

 もとより、世襲議員が全面的に否定されるべきではない。官僚や官僚出身議員にはない発想を兼ね備えている者もいる。しかし、「小選挙区制と相まって、総じて政治家は小粒化してきている」(自民党ベテラン議員)という。政治家的な官僚が陰をひそめ、官僚的な政治家が増えてきた結果でもあるのかもしれない。

 至って真面目で優秀そうに見える岸田文雄首相だが、官僚ではなく、銀行(日本長期信用銀行)出身の世襲議員である。名門の開成高校を卒業しているが、二浪しても東大に入れなかったという。控え目な言い方ながら、「彼は同窓の中では決して主流派ではない」(開成高校出身者)と見られている。

 就任以来、岸田首相は新型コロナ感染症とロシアのウクライナ侵攻への対応に追われてきた。だが、来たる参院選とともに岸田政権の“助走期間”は終わり、いよいよ“実体”を現すときが来る。外相時代も、首相になってからも、岸田氏は官僚に依存しすぎ、うまく使われてきた感が否めないが、今後、主導権を取り戻せるかどうかが大きく問われる。

 良くも悪くも“出自”は変えられないが、それを強みすることもできれば、弱みとして引きずることもある。岸田首相が世襲議員としての強みを発揮できるのか、それとも「決断のできないボンボン議員」のレッテルが貼られるのか、声には出さないまでも、永田町には「お手並み拝見」(前出・ベテラン議員)を決め込んでいる議員は意外に多い。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。

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