ジレンマ抱える習近平氏の難しい立場 ウクライナ情勢対応で、年内に党大会

【筆者】

中国ウオッチャー

龍評(りゅう・ひょう)

 

 ロシアによるウクライナへの侵略戦争に関連し、中国の役割が極めて重要であることは言うまでもない。国際社会は中国がロシアの侵略を阻止することを願っているが、中国はなかなか重い腰を上げないからだ。

国際世論にも押されて習近平(しゅう・きんぺい)国家主席は、表向きには和平の姿勢を見せているものの、心の中ではロシアのプーチン大統領を助けたい、と思っているだろう。中国の外交は「ジレンマ」に陥っていると言える。

中国の特色だと言い張った賢さは国際社会には通用せず、不信感を増幅させるだけだ。その上、中国の次期指導者を決める第20回共産党大会も年内に行われる予定で、政権の安定を守るために習氏は神経を使わざるを得ない。かなり追い込まれているようだ。

 

世界の関心事

 

 3月末、世界の目は中国・安徽省の屯渓(とんけい)に向けられた。王毅(おう・き)国務委員兼外相が主催した「第3回アフガニスタン近隣諸国外相会議」が開かれたからだ。ウクライナが侵攻された戦争とはあまり関係のない、この会議の必要性はそれほど高くないが、ロシアのラブロフ外相が代表として中国にやってきたのが焦点だった。このようなカムフラージュまで使って行われた中露外相会談は、いかにしてウクライナ情勢を話し合うのか? 世界諸国にとっても最大の関心事であった。

 「その前の3月17日に、中国を訪問するためにラブロフ外相が北京へ飛んでいた。しかし、途中の新シベリア上空から突然モスクワに戻った」とドイツの大衆紙「Bild(ビルト)」が報道した。ウクライナ情勢の先行きが不透明のときに、中国政府はラブロフ外相を受け入れたくなかったのか、それともプーチン氏の緊急命令で北京訪問を止めたのか、とさまざまな臆測を引き起こしたのだ。

 「フランス国際ラジオ」中国語版は、「ラブロフ外相が北京へ飛んだ目的は、北京に財政と軍事援助を提供するように説得しに行ったが、北京(政府)は彼を招待したくなかったのだろう」と伝えた。その報道があった後、ロシアと中国は必死に、そのような報道を否定した。歴史を振り返ってみると、中国とロシアは政府がうそだと主張したことが、後になって事実だと自ら認めた例は少なくない。

 

習氏がラブロフ氏と密会?

 

 この騒ぎのあと、ラブロフ氏は3月30日にやっと中国入りを果たした。王毅外相との会談は実現された。国際世論に配慮したからだろう、公表した会談内容に中国は「終始正しい歴史側にたつ」と王毅外相が強調。それと同時に妙なうわさが伝わってきた。

 ラブロフ外相は中国にいる期間中に、「第3回アフガニスタン近隣諸国外相会議」が行われた屯渓の黄山で習氏と密会した、と筆者の複数の知人が言っていた。黄山は安徽省にある著名な景勝地で、古代帝王から文化界の著名人に愛されてきた。険しい山と美しい滝、寺などの景観で「天下第一奇山」と称された。

ここには、中国政府指導者専用の別荘もある。密会には最適な場所なのだ。孤立ぎみの習氏は「プーチン大統領が私の一番心の通じ合う友達だ」と公言する。微妙なことに習氏とラブロフ氏の密会が伝えられたとほぼ同時に、習氏がプーチン大統領を親友だと公言した映像も、SNSなどで流れた。公にしないが、国民にロシアへの支持を印象付ける狙いがあったのではないか。

 密会だから習氏とラブロフ氏が何を話したのかは公表されていない。しかし、その時の中国マスコミの報道をみると推測がつく。3月29日から4月2日まで、共産党機関紙、人民日報が「ウクライナ危機からアメリカ式覇権を見る」という五つの連載を打ち出した。ロシアを支持し、米国と激しい対立をする中国政府のメッセージを発し続けた。米紙ニューヨーク・タイムズも「北京は中国国民をロシアに同情させて、西側の民主価値観を対抗する洗脳活動を行っている」と報道した。

 たしかに習氏は西側の価値観に対し、とても警戒感が強く、最大の危険だと感じている。米国をはじめ、西側先進諸国は中国がロシアの侵攻を止めてくれるのではないか、と期待しているが、中国はたやすくその期待に応えないだろう。真偽は定かではないが、中国製のドローンや車などをロシア兵が使っている写真をしばしばネットで見かける。

 もし中国が、今回のウクライナ情勢で仲介役になった場合、「中国式の解決策」が提案されるのだろう、と指摘する専門家もいる。つまり、ロシアがウクライナで「一国両制」を実施するように進言するかもしれないと。

仮に「一国両制」がウクライナとロシアの戦争を止める条件として採用されれば、中国の国際イメージが改善されるだけではなく、中国の知恵を世界に広める成功例の一つと見なされる。これは世界のリーダーを目指す習氏にとって都合がいいことだろう。

 

異例尽くしの中央政治局会議

 

 習氏のロシアを支持する外交政策は、中国国内にも反対意見が強い。3月15日に、米紙ウォールストリート・ジャーナルが「習近平権力の亀裂」を取り上げて、朱鎔基(しゅ・ようき)元首相を含めた中国最高指導部の元老たちが習氏の再任に反対の声を上げたと報道した。「習近平が主導の下、対外関係の面で中国はロシアと緊密の関係にあるが、かえって西側との溝を大きくさせた」と元老たちは不満を表した。

 そのあとに、すぐ朱氏と名乗った文章がツイッターや中国の通信アプリ「微信(ウィーチャット)」で流れてきた。文章は習氏が着任して以来の過ちを詳しく述べたが、真偽は分からない。普通であれば中国政府は必ず政府系マスコミなどを通してそれはフィクニュースだと弁明するが、この朱氏の署名文に関しては何も言わなかった。その後に行われた、中国政治局委員会が元老たちの反対意見や論争があったように思わせた。

 3月28日、中共中央政治局会議が行われた。通常と違って異例尽くしの会議で、話題になった。月に一度行われるこの会議は、必ずCCTV夜の新聞トップとして取り上げられるはずであるが、3月28日の会議は30秒ぐらいの報道で終わった。字幕もなければ現場画面もなし、キャスターが原稿を読んだだけであった。会議の内容も事前に報道されるはずなのに、今回は何の前触れもなかった。

 会議後の文字報道も、99%は先日の東方航空の事故について述べて、最後に「近期の仕事を議論した」と1行だけであった。この不可解な会議について、「敏感な内容で、報道不適ではないか」と知人の専門家が分析していた。

敏感な内容だといわれると近頃の元老たちの習氏に対する反対意見を思い出す。この25人の政治局委員会議で、習氏の内政外交を激しく議論された挙げ句、何も合意できなかったのであろう。習氏が主導した社会主義への回帰に対する不満や抵抗が強いことも意味している。

写真はイメージ

 

〝法学マスター〟の辞任

 

 会議の翌日に、中国の湖北省、青海省、寧夏回族自治区での幹部人事が公表され、習氏の側近で湖北省トップの党委員会書記・応勇(おう・ゆう)氏が年齢の関係で辞任させられた。年齢の関係だといわれると、再任や昇任もなくなったのだ。

 しかし、彼と習氏の親密な関係をみれば、辞任は早すぎると思われた。それまでは、彼は必ず北京入りして政治局委員に昇任するといわれていたという。

 中国政法大大学院を卒業した“法学マスター”だった応氏は今年で64歳。彼は習氏の嫡系浙江閥「之江(浙江)新軍」の一員であった。浙江省の公安庁副庁長、浙江省高級人民法院院長、上海市長などを歴任し、2020年、新型コロナの危機存亡の際に湖北省の党委員会書記になった。習氏の「動態清零」方針を忠実に従い、新型コロナの感染を抑えた。さらなる昇任をうわさされた中、3月28日の政治局委員会の後、彼は突然辞任すると公表された。「応勇の退任は習近平の権力が安定するかどうかの曲がり角だ」と米政府系のラジオ自由アジアは評している。応氏の辞任をはじめ、第20回共産党大会に向けて習氏の勢力はさらに落とされるのかどうか。これからの人事異動は習近平政権の行方を占うパラメータとなる。

 

怪しい上海のロックダウン

 

 中国で一番大きな都市、上海がロックダウンされた。前触れもなく、突然のロックダウンに市民は動揺を隠しきれず食料品を確保すべく奔走した。「国内外の経済影響の大きさに配慮してロックダウンしない」と上海市政府は説明してきたが、感染の拡大に従い、ロックダウンにかじを切ったと言った。事前の準備不足のためさまざまな問題が噴出し、2次災害で食べ物が足りなくなり、治療がストップされて亡くなった人も多くいた。それにより上海のロックダウンが本当に必要であるかどうかと疑問する声もだんだん大きくなった。「人の命より、政治を優先した怪しいロックダウンだ」と指摘した声さえあった。

 上海の人口は約2500万人。上海市衛生健康委員会が公表した最新のデータによると、4月9日に、2万4943人の新規感染者が確認され、うち約96%は無症状。重症者は1人。死亡率も比較的低く、4月9日までに累計7人がコロナで死亡したと公表された。

 3月26日に、上海市の専門家チームは中国および経済に影響与えかねない上海のロックダウンを強く否認したばかり。なのに、なぜ2日後に突然ロックダウンしたのか?

 「上海市政府は独立王国になって習近平の『ゼロコロナ』政策を貫いていなかったので、習近平の逆鱗(げきりん)にふれた。コロナより政治が優先の結果だ」と知人の中国政治専門家が指摘した。要するに「ゼロコロナ」か「ウィズ・コロナ」かの争いは、中国で習氏に対して忠誠を示す政治闘争に化けたのだ。日本のマスコミも今回の上海のロックダウンは習近平政権の圧力があったと報道した。

 これまでに上海は復旦大付属華山医院感染科主任の張文宏(ちょう・ぶんこう)氏を専門家チーム長として、「ウィズ・コロナ政策」を貫いてきた。張氏は科学に基づいて諸外国の経験を鑑みながらコロナと戦う最前線に立っていた。理にかなった話をして、空論もしないことで社交SNSや知識人の間でものすごい人気を博した。2年間の間に一度もロックダウンをせず、死亡率も低かったことで、上海は中国の中でコロナと戦う“優等生”で、コロナ感染防止と治療の「天花板(天井板)」とたたえられた。

 しかし、上海の張氏に対する批判の声は絶えず、彼に対する個人攻撃も多く見られた。このほど、朝鮮金日成総合大学国費留学生だった趙嘉鳴氏が上海市宣伝部の部長に任命されたと公表された。その前に彼は人民日報社の副編集長であった。上海は朝鮮閥に占領されたと多くの専門家が驚いた。市場経済で大いに潤った上海とは相いれない人事だったからだ。

 

急な「ゼロコロナ」への転換

 

 3月26日午前10時に上海の専家チームが記者会見をして「上海はロックダウンできない」と強調した。会見に専門家チームリーダーの張氏の姿はなかった。同じ日の夜に中共中央は諸葛宇傑(しょかつ・うけつ)氏が上海市副書記に着任すると通達した。

 3月28日、上海のロックダウンが突然公表された。ほぼ同時に「ウィズ・コロナ政策」のリーダーだった張氏が専門家チーム長を解任されたと社交SNSなどで話題になった。そして4月2日、中国国務院副総理の孫春蘭(そん・しゅんらん)氏が「習近平総書記の重要指示を貫徹するために」上海へやってきたと中国国営通信の新華社が報道。3日の間に上海の「ウィズ・コロナ政策」の終止符が突然打たれて、完全に習氏が自ら指揮を取った「ゼロコロナ」へ転換した。

 ロックダウンした上海では2次災害がひどいだけではなく、成果を報告するためにデータを偽造する地方幹部もいた。陽性ではないのに感染者とされて無理やり隔離された例はあとが絶たない。

 2期10年近く務めた習氏は、中国最高指導者の座を他人に譲りたくない。そのために大きな政績がほしい。外交はロシアと緊密関係を築いた以外に自慢ができることがない。むしろプーチン氏と手を組むことはマイナスになった。

 内政はコロナで経済の大きな発展は望めない。「ゼロコロナ」だけが、習氏が民心を把握する唯一の政策となった。上海がロックダウンされた最中の4月8日に、彼は自ら北京冬季五輪を表彰する大会に出席して、中国の成功経験とした「ゼロコロナ」を自画自賛した。1人の選手の話を借りて「もしコロナの感染防止に金メダルがあれば、中国は1枚得るべきだ」と彼は言った。「上海のコロナ感染対策は中国指導部の政治闘争の道具となった」と米政府系メディアの「ボイス・オブ・アメリカ」中国版が評論した。習氏にとって、上海は再任のためにさけてはならない〝戦場〟となった。

 

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