教えてもらいたい「岸田ノート」の中身

 「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン(One for all, All for one)」のフレーズは、チームスポーツの選手を鼓舞するために用いられることが多い。とりわけラグビーワールドカップの際、まるで呪文のように唱えられた。正確には「チームは目標のために」だが、「一人はチームのために、チームは一人のために」といった誤訳が一般化している。

 政治家もこうしたフレーズを用いるのが大好きである。第100代の内閣総理大臣に就いた岸田文雄氏も、去る8日の所信表明演説で、「日本の絆の力を呼び起こす」「みんなで前に進んでいくためのワンチームを創りあげる」と力説した。経済的環境やコロナ禍で生まれたとされる、国民の分断を是正するための呼び掛けである。

 絆の力を呼び起こすことも、新型コロナウイルスから国民を守ることも、間違いなく重要である。しかし、政治家が口にする「国民」とは総称であって、どうも個々の国民のことではないらしい。岸田首相はコロナ対策のために数兆円の予算を使い、組織も人員も総動員すると見られるが、拉致被害者救出への取り組みはどうであろうか。

 政府は何の罪もない、何の落ち度もない自国民を拉致という重大な犯罪から守れなかったのみならず、生存と解放を祈るだけで、主権国家として手をこまねいてきた。実際に平壌に飛び、5人の拉致被害者を連れ戻した小泉純一郎首相(当時)を除けば、歴代首相は掛け声だけに終始した。1970年代に生を得ていた者であれば、国民の誰もが拉致被害者になっていた可能性はある。

 野党やマスコミに追及されると、政府は「外交機密」「水面下の交渉」といった言葉で糊塗してきたが、何ら結果が出ていないところを見ると、不作為だったといえる。それでいて、野党や民間団体が動こうとすると、今度は「外交の一元化」を盾に眉をひそめる。首相も拉致問題担当相も、単に拳を振り上げるのが仕事ではなく、解決に向けて命がけで取り組むのが使命のはずである。

 しかし、岸田首相は拉致被害者の家族会にも、さらに国会の所信表明演説でも、「拉致問題は最重要課題の一つ、一日も早いすべての拉致被害者の帰国に向けて全力で取り組む」と紋切り型の発言を繰り返したにすぎない。演説原稿を用意していた10月5日は横田めぐみさんの57歳の誕生日であったが、岸田首相の心は動かなかったようである。

 冷めた見方をすれば、多くの政治家はコロナから国民を守ると豪語するが、政府が認定している、たった17人の日本人さえ救い出せない国家に、1億2500万人の国民を守れるとは思えない。それどころか、来る衆院選の公約に拉致問題の解決を掲げ、真剣に取り組もうとする候補者はどれだけいるだろうか。

 もしも岸田首相がいずれ国民に「痛み」を伴う改革への協力を求めるのであれば、まずは拉致問題について行動で示すべきである。映画「ランボー」の中で登場した「われわれが国を愛するのと同じように、国に愛されたい」との名言は示唆に富む。哲学的な表現ならば、岸田首相が国民から支持されるには、ルキウス・セネカの「愛されたいなら、愛しなさい」の姿勢が求められる。

 総裁選で「岸田ノート」なるものを披露するなど、岸田首相は「聞く力」を売りにしている。リーダーにとって人の意見や要望を聞くことは間違いなく大事なことであるが、さらに必要なことは処方箋を書き、解決に向けて実行することである。外相を5年近くも務めた岸田首相のノートには、拉致問題についてどのように書かれ、どのように解決に挑むか、ぜひ教えてもらいたいものである。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。

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