【コラム】コロナ禍で国会にも多少の変化!?

 政府が「新しい生活様式」を求める前に、コロナ禍ですでに国民の生活は大きく変わった。マスクの着用や頻繁な手洗い、手指の消毒は当たり前で、他人との一定の距離(ソーシャル・ディスタンス)も保たれている。パブロフの犬ではないが、誰かがせき込むだけで思わず条件反射で目を向けてしまうのも、もしかしたら「新しい習慣」なのかもしれない。

 企業でも、新型コロナウイルス感染症対策の一環として、テレワークやリモートワーク、在宅勤務などが試みられた。「昨年、安倍晋三首相は懸命に働き方改革の旗を振ったが、いまいちだった。それがコロナ禍で推進される結果になるとは、世の中は皮肉だね」(閣僚経験者)とは言い得て妙である。

 民間企業に比べ、役所、とりわけ国会は“形”にこだわり、柔軟性に欠く。伝統を守っているといえば聞こえはいいが、因循姑息なところは少なくなく、小さな改善を図るのにも異常なまでの時間を要する。これまで国会改革の必要性が声高に叫ばれながら遅々として進んでいないのも、国会という機関の“体質”による。このご時世にもかかわらず、国会ではまだタブレット端末の使用さえ認められていない。

 密閉、密集、密接を凝縮したような場所だから至極当然だが、その国会でも“3密対策”が講じられた。例えば衆院では本会議における質疑中、半数の議員が交代で議場外に出る措置がとられたり、委員会の開催が抑えられたりした。本会議場にいない議員は、それぞれの事務所でテレビ中継を見ることになったという。

 各党でも大勢が一堂に会する会議や不要不急の集まりはできるだけ取りやめられ、オンライン会議が活用された。これまで「パソコンからでもウイルスに感染するのではないか」と真顔で怖がっていた年配の議員も、秘書から「大丈夫です、コンピューターウイルスは人には感染しません」と諭され、恐る恐る画面に向かって参加した。

 平時では改革や改善、導入が容易でないことも、非常時には意外に実施されやすい場合がある。あるいは、非常時における教訓がきっかけで、変化が生じ始めることもある。その半面、喉元過ぎれば熱さを忘れるのたとえのように、検討を先送りにすれば変革の機会は通り過ぎていく。

 かねがね疑問が持たれてきたことの一つに、国会における定足数がある。両院の本会議の定足数は憲法で総議員の3分の1、また委員会は国会法で過半数と定められ、本会議や委員会への出席は議員の実質的な“義務”と見なされている。もしも無断欠席すれば、所属政党の国会対策委員会からお叱りを受ける。

 しかし、本会議でも委員会でも、ただボーっと座っている議員は少なくない。中には審議と関係のない本を読んでいたり、居眠りをしたり、暇つぶしにヤジを発したりしている議員もいる。それならば定足数は採決のときだけの要件にし、質疑のときの“強制参加”を改めてはどうかとの意見は説得力を有する。米国議会などではがらんとした議場で、議員が一人で演説をする光景が一般的である。議会にウエブ会議や電子投票を導入した国もある。

 本会議の定足数の見直しには憲法改正を要するが、委員会は国会法の改正だけで実現できる。だが、「国民に仕事をしていない、歳費を返せと言われかねない」(自民中堅議員)かもしれないし、「採決のときだけ委員会室に来たら、賛否を間違える議員が出てくるかもしれない」(自民国対関係者)のも、あながち冗談ではないかもしれない。

 すぐに国会の制度や運用を変えることは決して容易ではない。しかし、コロナ禍で得られたことを教訓に、国会における新たな運営方法を検討してもいいのではないか。国民が求めているのは“形”よりも、“実”のある国会審議のはずである。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。

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