「和を以って貴し」が現代に教えるもの ~今必要なのは対立するものを「和える」知恵~

 

「和を以(も)って貴(とうと)し」とは、聖徳太子が制定したわが国初の成文法十七条憲法第1条の冒頭である。とりわけ「和」については「和(あ)える」という使い方に注目したい。ロシアのウクライナ軍事侵攻など世界が深刻な危機に直面するこの時期に、条文の意を再考することは意義深いだろう。

 

■「和を以って貴し」

 

 「和を以って貴し」を第1条としてはじまる「十七条憲法」は、604年4月に聖徳太子(以下、太子)により制定された日本初の成文法とされている。これは600年に第1次遣隋使派遣が屈辱的な外交に終わったことがその制定の発端だといわれている。隋の皇帝・文帝から冠位や法令のない政治レベルの低い国であるといわれたことを受けて、太子が「冠位十二階」と「十七条憲法」を制定した。

 そして自信をもって太子が第2次遣隋使として隋に派遣したのが、小野妹子である。この時の国書は「日出ずるところの天子、日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや…」ではじまることで知られる。

 この第1条は「和を以って貴し」の後に続く「忤(さか)ふること無きを宗とせよ」と続くことから、一般的に、争うことなく、みんな仲良くすることが大切だ、と解釈されている。

 しかし、この十七条憲法が記されている日本書記では「和」の異体字「龢」の文字が使われている。左の「龠」は「ふえ」を表し、和音というハーモニーを意味する。この「和」は平和の「和」といった意味だけではなく、さらに掘り下げると、「和える」という互いの違いを認め合い、個性を引き出し、和音のように美しいハーモニーを奏でる、つまり共存・共栄により、より良い社会を構築する、という今まさに不安定な世界情勢に向けた1400年以上も前からのメッセージでもある。

 

■和える

 

 「和(あ)える」とは日本食「和え物」を頭に浮かべてほしい。和えものは、それぞれの素材をすりつぶしたスープのようなものではない。食材の形、触感や味をそのままにして、酢などの調味料を纏(まと)わせていただく日本古来の食べものだ。スープだと素材はミキサーにかけられ、確かに一つになっているが、素材の原形をとどめず、素材の個性も失っている。それに比べ和えものは個性を主張しながらも、それぞれの素材の違いを酢などの調味料を介することで二つの素材の力を引き寄せ相性のいい食べ物に昇華させている。世の中いろんな個性の持ち主がいて、得意なところを引き出し合ってこそ大きな力になる。これが「和える」である。

 和えものには野菜と貝、柿とサバ、おろし大根とイクラといった一つ一つ独立した状態では合いそうにもないのもが、和えものにすると絶妙の味わいとなる。どうもこの味わいには絡ませる調味料(酢)、ゴマ、豆腐にその秘訣(ひけつ)があるようだ。「絡ませる」を料理人は「纏わせる」を使うが、酢やゴマが各素材に纏わり、それぞれの個性をいいあんばいに引き出し、新たな味わいを生んでいる。

 和えものの定番の一つは豆腐と和える「白和え」、これは豆腐の淡白さと素材の触感で素材を楽しむ。ごまと和える「ごまあえ」はごまの香りを素材に纏わせ、嗅覚で素材を楽しむ。最後は酢で和える「甘酢和え」は味覚で素材を味わう。これらは主役にはならないものの、素材の力を引き出す効果は抜群。素材それぞれを単独で食べるよりも、また単に混ぜ合わせて食べるよりも各段に味わいが深くなる。

 この「和える」はそのまま社会の関係性に例えることができる。和えるとは相克する異なった個性の持ち主や組織がそれぞれの個性を殺すことなく、生かしながら、あるいは個性を引き出し共存させながら一つの新たなものに昇華させる知恵である。

 

■「中動態」

 

 哲学者である國分功一郎氏は能動態でも受動態でもない中動態(ちゅうどうたい)という文法用語について以下のように解説している。「能動態と受動態は『する』と『される』の対立だとすると、能動態と中動態の対立は外と内の対立といえます。たとえば『与える』は能動態です。自分の外側で与えるという行為が終わるからです。それに対し、『欲する』は中動態です。(中略)『水が欲しい』とき、私は少しも能動的ではありません。私の中で水への欲求が高まっていて、私はそれに突き動かされており(中略)水を欲するという過程が私を場として起こっている」(「利他とは何か」『中動態から考える利他』(國分功一郎 2021年)としている。

 この中動態は主語を伴わない。実は主語のないといわれる日本語においてこの中動態が多用されている。例えば「愛している」を英語では「I love you」と主語「I」をつけるが、日本語では「私」という主語は「愛している」に通常伴わない。英語にもシェイクスピア以前の古英語には主語がなかったといわれているが、今では主語はあるが中動態的な表現であるI fall in love(=自分から能動的に好きになったのではなく、恋に「落ちる」)という表現が用いられている。

 「中動態」でのやりとりには主体が主張しない中で、その場の関係性の中で会話が成立してゆく。この好事例が現在アイデア出しの手段として使われる「ブレーンストーミング」(以下ブレスト)だ。筆者も参加するブレストで鎌倉のまちづくりを実践する団体「カマコン」では高速ブレストといわれるメソッドに、「意見を言わない」「人のアイデアに乗っかる」というルールがある。与えられた課題に対し、約15分間のブレストで50~80個くらいの解決策としてのアイデアを出す。このブレストを行うことによって、ブレストを行ったチームの一体感が増し、仲良くなる。これはそのルールの「意見を言わない」(例:「私の思うには云々」はNG)や「人のアイデアに乗っかる」(例:「○○を作る」に乗っかり「それに△△を飾る」)などのように、発言者の「私」という主語は禁物。アイデアを特定個人のアイデアではなく、ブレストしたチームの成果とすることによって、参加者の関係性や絆を高める手法である。そのカマコン・スタイルのブレストの肝は、中動態の特性を利用し、ブレストの「場」に参加者の主体を巻き込み、その結果主体自らがそのテーマが自分自身のテーマと考える、つまり「他人ゴト」から「自分ゴト」に主体の思考を変容させる点にある。

 × × ×

 相反するものを和えるには、和えるもの素材それぞれを能動でも受動でもない、主語のない、つまりそれぞれの個性を主張しない中動態的な衣を纏わせる必要がある。この中動態的な衣が食べ物でいう豆腐、ごまそして酢に相当するだろう。

  今まさに相反するものの共存について考えさせられる時代である。和製英語の「ウィズ・コロナ」とまでいわれる新型コロナウイルス、ウクライナに軍事侵攻するロシア、弾道ミサイル発射実験を繰り返す隣国の北朝鮮など、このような緊張感張り詰める中、われれは、これから彼らとどのよう行動し、共存できる関係性を構築すればいいのであろうか?

 答えは、能動でも受動でもない中動態を纏わせて対立するものと和えること、すなわち

「和を以って貴し」が最も肝要である。

 

【筆者略歴】

植嶋 平治 (うえしま・へいじ)

前青山学院大経済学部非常勤講師

学校法人臨研学舎東北メディカル学院専務理事、東北医療福祉事業協同組合理事。

社会福祉法人しばた会理事長、医療法人M&Bコラボレーション常務理事

1976年、大阪市立大商学部卒

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