医療機器は美しい

 医療機器は美しい。

 何か一つの機能を研ぎ澄ますために、それ以外の無駄を排除した、排除せざるを得なかった造形はたいてい美しいものに仕上がる。

 その点において、医療機器は極美の極北である。

 「他社との差別化」や「高付加価値の追求」の手段として、一生使わないような機能やボタンを満載した家電が量産された一時期があった。まったく美しくなかったし、魅力的でもなかった。医療機器の対極である。

 だから、人間ドックだの追い検査だのは、私にとって医療機器の博覧会以外の何物でもない。高価で美しい至高の医療機器たちを間近にめでることができ、あまつさえ時にはそれらが体内に侵襲してくるのである。どんなテーマパークもこんなに愛おしい顧客体験と付加価値は提供してくれない。なんて素晴らしいんだ。

 私が勤めている大学では、大学に来てくれる巡回健康診断と、自分で医療機関へ赴く人間ドック検査のどちらかを選ぶことができる。後者だと自己負担が発生するのだが、私は必ず後者を選ぶ。オプション検査がつけられるなら、盛るだけ盛る。芳醇な先端医療機器が豊富に濃厚に詰め込まれた空間を満喫できるからだ。

 人間ドックの前夜は楽しみでなかなか寝られない。小学校の頃の遠足のようだ。うそをついた。遠足前に寝られなかったのは本当だが、私はおおぜいが集まって何かをするようなアクティビティーが大の苦手だったので、ため息をつくことに忙しくて寝られなかったのだ。

 それに比べると人間ドックを思いながらベッドに入る夜は至福である。看護師さんの静脈内注射スキルはどうだろうか。上手な人が静脈を探り当てる技術はほれぼれするほどだ。静注なのに痛みすら感じない。一方で下手な人の注射もなかなかだ。針を皮膚に通してしまった後で静脈を探されると、つい応援したくなる。

 MRIのシンプルな閉鎖空間に体が挿入されるのは未知の洞窟へ誘われるような愉悦をもたらしてくれる。MRIはどこの工事現場かといぶかしむほど大きな音がする検査だが、もはやコイルの音か胸の高まりか判別がつかないほどに待ち遠しい。

 内視鏡検査は医師の手技次第で絶技の鑑賞会にも拷問にもなり得る。近年は痛みに関するケアの意識が高まっているので、一般的な上部消化管検査でも下部消化管検査でも鎮静剤を使ってくれることが多い。どんな鎮静剤が投与されるのかも楽しみであれば、それがどんな効果をもたらすのか体験するのも人生を彩るエピソードだ。

 私はお酒を飲まないのだが、きっとお酒の酩酊(めいてい)感をたしなむ人はこのような気持ちなのだろうと鎮静剤を使う度に思う。お酒の種類で味も違うのだろうが、鎮静剤の種類で酩酊感も異なるのである。ああ、でもバリウムもいいのだ。あの、喉にねっとりと絡みつく薬剤感満載の液体は、検査機能に特化した医療輸液の面目躍如である。何もかも抜群だ。

 そんなことを考えると寝られたものではない。どんな魅惑体験が待ち受けているのか気ばかりはやるのだ。ある検査の際、「昨日は寝られなかったんですよ」とフレンドリーに話題を振ったら、看護師さんが検査の間中ずっと手を握っていてくれたことがある。きっと、別の意味に誤解されたのだろう。

 以前はアプリケーションソフトウエアも医療機器同様に、そぎ落としたプロダクトの潔さと美しさがあった。だが、近年はコンピューターの性能向上をよいことに、何もかもてんこ盛りのプロダクトが増えた。何もかも詰め込まれると、何もかも使いにくくなる。医療機器のようなむき出しの美をぶつけてくるアプリケーションに、また会いたい。

【著者略歴】

 岡嶋 裕史(おかじま ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「思考からの逃走」(日本経済新聞出版)、「インターネットというリアル」(ミネルヴァ書房)、「メタバースとは何か」(光文社新書)など。

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