【コラム】AIと人の付き合い方としての「PSYCHO-PASS サイコパス」(前編)

 人工知能(AI)の台頭に警鐘を鳴らす専門書や啓蒙書は、既に星の数ほどある。それで納得する人もいれば、反論がある人もいるだろう。だが、「どうにもピンとこない」という人が実は一番多いのではないだろうか。

 AIの能力はいつか人間を超えるよ、いや特定分野では既に超えている。あなたの仕事が奪われると言われれば、「そうか」と思うし。

 AIは過去の事例から学んでいるだけで、創発性を持っていない。それどころか特定の知識フレームの内部でしか演算できないから、汎用的な知見さえ導くことが不可能だ。知性などと呼ぶのはおこがましいと言われれば、「なるほど」と納得する。

 でも、実感を伴って自分の身近に迫った現象だと考えることは難しい。AIが自分の仕事を全部奪って、さらには自分がAIの奴隷になる場面は想像しにくい。

 ならばAIなんて大したことがないかと言えば、時間のあるときに「AI」と名称がついているオセロや将棋のアプリケーションで対戦してみてほしい。あれに勝つことはもう不可能だ。

 私たちの想像力は非常に限られている。AIに自分の権利が浸食される未来も、AIを使役するばら色の未来も、明確な輪郭を伴ってイメージすることは困難だ。

 だったら、想像力のある人たちが、未来を垣間見せてくれるものを鑑賞すればいい。AIを扱ったエンターテインメントの歴史は古い。ちょっと記憶の引き出しを開けるだけで、「ブレードランナー」「ターミネーター」がすぐに浮かぶ。「1984」でも「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」でもいい。豊富なビジュアルイメージや、飽きさせないプロットで、無味乾燥な論文などよりずっと明瞭に「AIとともにある未来がどうなるのか」、その一場面を切り取ってくれるだろう。

 自分では気付けない社会への違和感を浮き彫りにしたり、あるべき生き方の可能性を見せたり、現在の延長線上にある未来をのぞかせたりするのは、文学や芸術がそもそも持っている機能の一つである。秋も深まったこの時期、長い夜の退屈を慰めるのにも最適だろう。

 今回はそうした作品群の中から、「PSYCHO-PASS サイコパス」を取り上げたい。私はこの作品が大好きで、いろいろなところで紹介している。「PSYCHO-PASS サイコパス」は大手アニメーション制作企業であるProduction I.Gが2012年に制作、公開したシリーズもののアニメである。2020年現在では、第三期までの続編が公開されていて、その他にも複数の劇場版が制作されている。見るなら第一期からが良いだろう。すでに制作からかなりの時間が経過しているが、そこで語られている世界はいまだ色あせない。

 「PSYCHO-PASS サイコパス」で描かれる世界は今から約100年後、近未来の話である。日本は鎖国に近い状態にあるが、それはシナリオには(第一期では)絡んでこない。AIやドローンはすでに日常に溶け込んでいて、人々はこれを葛藤や屈託なく使っている。

 第1話の冒頭では、公安の警備ドローンが緊急出動で高速道路を疾走しているシーンが挿入される。

 1台1台はロンドンのごみ箱か、昔の日本の郵便ポストを連想させるような形状をしていて、例えば高速道を併走する普通自動車と比べるとかなり小型だが、小学生の行進のように前後のドローンとのつながりを意識させる有機的な動きをしており、多くのドローンが個別に動作しているのではなく、連携することで全体最適を達成していることを予想させる。

 このドローンの本体は極めてそっけない、実用一辺倒のデザインがなされているのだが、市民の前で業務を行うときだけホログラフによってゆるキャラ的な外見をまとう。この辺の見せ方は、緻密に計算されている。ある水準を超えて高度になった監視網は、決して高圧的であったり、嫌悪感を催させたりしない。紳士的な外観で、監視という行為が監視される側にもどれだけメリットがあるかを明示的にも暗黙的にも濃厚に伝え、被監視者からの要求により監視させるようになる。

 この世界のホログラフィック技術は洗練されている。人々は無個性な衣服をまとい、無個性な住居に住んでいるのだが、ホログラフィック投影によりその日、その時間の気分に合わせて衣服もインテリアも異なるものであるかのように知覚することができる。

 無骨な公安の捜査官も、聞き込みをするときにはゆるキャラのホロをまとう。善良な市民をおびえさせ、メンタルに悪影響を及ぼさないためだ。この世界ではメンタルの健全性が、生活の中で最優先されている。その行き着いた先が、「PSYCHO-PASS」(精神の証明書)だ。人の活動は各種センサーでくまなく監視され、そこから「犯罪係数」が導かれる。これが閾値を下回っていれば、安全な社会生活が保障される。逆に閾値に達してそれを上回ると、容赦のない追求が待っている。

 PSYCHO-PASSはまさに社会生活を営むためのパスで、これがないと飲食などの基本的な生存活動さえままならない。今でこそ、私たちはこのような社会が現実のものになっていることを、中国を筆頭とする事例で学んでいるが、これを2012年の時点で明瞭に描写したことは賞賛に値する。

 詳細な犯罪係数を計測するセンサーは、行政機関の要員などにしか携行・使用が許可されていないが、概算値は一般市民にも公開されている。この概算値は数値として示されるわけではなく、色相と呼ばれる「色」によって分かりやすく可視化される。精神が健全であれば、澄んだ色、不健全だと濁った色が自分の色相になるのである。

 市民たちは、この色相の良化と悪化に一喜一憂している。色相を改善するための市販薬やサプリメントのサイネージ広告は、常に街角を彩っている。

 普段は簡易的な「色相」でしか、自分の精神状態を知ることができない一般市民だが、人生の節目節目で詳細なパラメータと向き合うことになる。最も端的な例は就職で、犯罪係数をはじめとするPSYCHO-PASSの総合評価によって、自分の就職先の選択肢が示される。楽で汚れず有意義かつ高収入な仕事は、評価値の高い者にしか与えられない。

 そうでない者は、そうでない職業の中から自分の職種を選ばなければならないが、そもそも選択肢の幅が狭い。これが、就学、就職、結婚とついてまわる。

 当然、評価値の低い者は自分に与えられた選択肢の魅力のなさや少なさを嘆いているが、では革命でも起こす気運があるかといえばそうではない。それは依存といってよい水準である。

(後編につづく)

【筆者略歴】

 岡嶋裕史(おかじま・ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「ブロックチェーン」(講談社)、「いまさら聞けないITの常識」(日本経済新聞出版社)など。

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